第10話〜天翔ける舟唄



 草を踏み分け、トスカはすぐ近くにあった飛空艇の傍らに立つ。労る様に手をかけ、彼女はもう一度呟いた。

「どうすっかなー……」
「どうって、置いて帰るしかないんじゃ……」
「馬鹿言わないで。どうしてイルザを置き去りにできるのよ」

 言いかけたアレグロにつかつかと歩み寄り、トスカは浅黒い顔に怒りの色を滲ませて彼の胸倉を引っ掴んだ。

「そんな事できる? ねえできる? あんたねえ、普通大事な艇をこんな山ん中に置いて帰ろうなんて思わないでしょうがっ!」
「いや……できるできん以前に飛空艇とは無縁だったから……おい、アホ歌歌い!? お前、まさかそれに手ぇ出す気じゃないだろうな!?」

 トスカの怒り一色の視線から目を逸らした先に飛空艇に軽い足取りで歩み寄るエイルを見つけ、アレグロは怒鳴った。
 エイルは振り返りもせずに艇の中に入り込み、舵に手をかけた。

「へー、こんなんなんだぁ……っと、あれ?」

 舵を勢い良く回し、ふとエイルはその下に目を留める。

「いいもん、見っけ!」

 屈み込み、彼は舵の下に取り付けられている拳半分ほどのクリスタルをその小さな手でつまんだ。
 恐らくはこれが動力源なのだろう。だがそれは透明さを失い、銀灰色に濁っている。
 エイルはクリスタルをつまんだまま、ふと思いついたように口を開いた。

――ハェイ プウェカウ エルティル ヨブ、スティ イダェラ グーニンローム

 呼びかけるような中音で歌う。と、小さく金属の鈴を弾いたような音が響いた。
 同時にクリスタルが光を放つ。――靄のような濁りは今や完全に消え、クリスタルそのものの透明度を取り戻している。それどころか、放つ光は僅かに早春の若草のような薄緑色を帯びている。
 緑の光。それは、クリスタルの”風”の属性ゆえのものに他ならなかった。
 変化に気付き、トスカがアレグロの襟首からぱっと手を離す。駆け寄り、クリスタルを見て表情を輝かせて彼女は叫んだ。

「ナイス、エイル! いいよ、調子は最高まで来てる!」

 エイルの肩を抱き、ふわふわとした頭を乱暴に撫でくる。エイルは特に抵抗するでもなく、撫でられるがままにされていた。その様子はどことなく子猫に似ているようにも見え、微笑ましい。

「サンキュー、恩に着るわ! よっしゃ、乗りなよ。ラロス直通便、まもなく離陸!」
「ラロス……首都じゃないんだ?」

 呟くように言ってリエルが首を傾げる。ラロスはアディータのほぼ南端に位置する海岸の町であり、首都からはそれなりに離れている。
 トスカは頷き、

「ん、あたしん家そこだしね。あんまり遠出すると国がうるさいし」
「あ〜」

 その言葉に納得したようにエイルが間延びした声を出す。この時世、そんなものを飛ばせばすぐに他国の目に留まる。その結果行き着くところはさらなる争いに他ならない。
 ぽんと手を打ち、彼は後部座席に飛び乗った。

「よっし、行こ! ほら、早く早くー!」

 その言葉にある者は苦笑し、ある者は溜息混じりに少年の後に続く。
 リエルはひとりその場に立ったまま小さく笑い、独りごちる。

「属性付加、か……詩人クン、侮るべからず……だなぁ」
「……あの……リエル様?」

 従者の心配げな視線に気付き、彼は顔を上げる。そしてすぐに手を挙げ、駆け出した。

「あぁ、ごめんごめん! すぐ行く!」


 ☆ ★ ☆


 吹き抜ける湿った風がその場に居る全員の髪を撫で、揺らす。元々小型の艇だけに内部は狭苦しかったが、トスカはそんなことは気にも留めないふうだ。
 扉を閉め、操縦席に軽やかに腰を下ろす。その横顔は木漏れ日を受けてまだらにきらきらと輝いている。

「さて……いっちょ、飛ばすわよ!」

 舵を握り締め、その横から伸びるレバーを一気に下ろす。がこん、と何かが外れるような音がして、鉄の棒は俯いた。
 と、プロペラが唸りだす。次第にその音は高くなり、大きくなり、風の中に浮かび上がる。
 薄緑のクリスタルがひときわ強く輝いた。と思った瞬間、ふわりと足元が浮き上がった。

「と……飛んだぁ!」

 窓――と言うには不自然かも知れない。何せこの飛空艇には屋根とか天井の類が無いのだ。当然、頭上には飛空艇に吹き飛ばされた若葉と獣や鳥のざわめきとが直接降ってきている。
 とにかく”扉の上”から顔を出し、アルティアが感嘆の声を上げる。トスカはそれに振り返りもせずに答えた。

「飛ぶわよぉ。……あ、顔とか手足とか引っ込めときなさいよ。いつ何時何にぶち当たるか分かんないからね」

 その声にアルティアは慌てて首を引っ込めたが、ふと反対側を見て元々つぶらなその瞳を更に丸くした。

「え……と、エイル。何やってるか聞いたらオイラの負け?」
「負け!」

 視界をどんどん横切る藪の中で煌く木苺を何とか捕まえようとする手を止めることなくエイルは叫んだ。
 ……それにしても、速い。エイルの知っているどんな鳥よりも速く、飛空艇は飛んでいく。――ただし、せいぜい人の頭上から更に頭数個ほどの高度を。
 あまりの低空飛行を見かねたように、クレハがすぐ前のトスカの肩を軽く叩いて問うた。

「おい、いくら何でも低過ぎやしないか? これじゃいずれ藪に突っ込んでもうじき発生し始める蚊どもの餌食になりかねんぞ」
「平気平気! 見てなさいよ、あたしの華麗なハンドリングぅ!」
「……いや、その前にもうじき発生する奴の餌食ってどういう了見だよ……」

 勢い良く返したトスカの背に向かい、夕焼け騎士のため息ひとつ。
 飛空艇は速度を落とすことなく藪の合間を縫い、風に向かって突っ込んでいく。
 そろそろ初夏にさしかかろうかという日の生ぬるい緑の空気を切り裂き、跳ね飛ばし、直進する飛空艇。それを遮ることのできるものは、森には何も無い。
 風とひとつになる感覚が、一行の身体の芯に滲んでいた。


 ☆ ★ ☆


 切り裂く空に一番星がはっきりと見え出した頃に、景色は森のそれでは無くなっていった。徐々に木が減り、木苺の藪が減り、山吹の黄金色の花に代わって名前も分からない園芸種の花がちらほらと向こうに見え始める。
 と、唐突に身体が前に引っ張られる感覚に襲われる。それが飛空艇の急ブレーキだと気付く頃には、既に飛空艇は土埃を巻き上げて着地していた。

「はい、おっつかれさーん!」

 元気良く叫び、トスカは飛空艇から飛び降りた。彼女の横に居たリエルとディアがそれに続き、後部の扉をゆっくりと開ける。

「こっからはしばらく歩いてもらうけどさ。ま、そんなにはかかんないわよ」
「ホントに? ホントに『そんなには』かかんないんだね? ……ウォルギフの時みたいな『大してかからない』はもうやだからね」

 エイルはトスカの『そんなにはかかんない』という言葉を聞き咎め、ひとりぶつぶつと呟く。未だにあの山越えのきつさを覚えているのだが、しかし根に持ったところで何か変わるものではない。
 ――理性が僅かにそれを知っているが、その僅かな知覚など少年の中で大きく広がり続ける感情に覆われ、埋もれてしまっている。

「ははは。何があったか知らないけど、まぁせいぜい五分よ」

 言いながらトスカは席の下に置いていたリュックサックを引っ張り出す。その動きにはぎこちなさも丁寧さもまるでない。
 地面に無造作に放ったリュックから、彼女はひとつの小箱を取り出した。
 くすんだ銀色のそれには蓋があり、その上に細かな蔓植物の装飾が施されている。
 その箱の後ろ側にある螺子をぎりぎりと巻き――決して比喩ではなく、本当にそんな音が鳴っていた――トスカはふっと顔を上げた。
 エイルたちの方を見、慌てたように笑って彼女は話す。

「あー、ごめんごめん。最近こいつも調子悪くてさ。かなり頑張って巻かないと駄目になってんのよ……っと」

 その時、箱の中から微かな音が聞こえた。丁度鍵穴に合った鍵を入れて回したときのあの音だ。
 トスカはそれを聞き逃していなかった。螺子を巻く手を止め、蓋をひょいと開ける。

「……何だ、これは……? オルゴール、か?」

 その中身をちょっと覗き、アレグロは呟いた。
 蓋の中から現れたのは、外と同じにくすんだ銀の板だった。その板にもやはり精巧な装飾が施されていたが、それは植物ではなく天使のレリーフになっている。
 真横を向いたその天使は花の冠を被り、長い髪をたなびかせ、二枚の翼を広げ、そして両の手で小さな箱を掲げ持っている。
 その箱は、恐らくこの箱と同じような作りなのだろう。アーチ型の蓋があり、背中に小さな螺子を持っている。
 箱の中からはきらきらと音だか光だかが流れ出し、天使の周囲を渦巻いていた。
 オルゴール。螺子を回すと鈴の音に似た音色で音楽を奏でる機械仕掛けの歌い手。
 美しい装飾とトスカの行動からアレグロがそう予想するのは、不自然なことではない。

「んー、まぁ、逆に回せばオルゴールとしても動くけどね」

 そう言い、トスカは小箱を飛空艇に向けて突き出した。
 変化はすぐに訪れた。飛空艇が突然光の塊に変わり、細かな粒子に分解されながら小箱の中に吸い込まれていく。
 僅か数秒で飛空艇の姿は消え去った。後に残ったのは、ただただ普通の森の出口のみ。
 呆然と立ち尽くす一行に向かい、トスカは頭を掻きながら口を開いた。

「……なんかね、これも古代文明の遺産みたい。細かいことは分かんないけど……でも、これもクリスタルに頼ってんのは確かよ。さっき堕ちた時、とりあえず場所を動こうと思って試したけど駄目だったし」
「物質を元素レベルにまで分解、吸収……必要に応じて再構築する、ってとこか。確かに随分古い時代のものみたいだね」

 顎に握った手を当て、リエルが後を引き継ぐように呟いた。彼の深いアメジストの瞳は、長い睫毛の下で鋭い光を放っている。
 そゆことみたい、と頷き、少女は小箱をリュックにしまい込む。革のリュックをひょいと担ぎ、彼女は言い放った。

「さ、もうちょい!」


 ☆ ★ ☆


 両脇に白い家が立ち並ぶ白い石畳の道をしばらく行くと、目的の家に辿り着いた。空は既に薄暗く、太陽の光は名残惜しそうに消えかかっている。
 トスカは少年たちを率いてせいぜい十五段の階段を駆け上がり、扉を一気に開け放った。

「ただいま!」

 小ぢんまりとした外観通りの狭い玄関だったが、白と空色を基調とした内装の効果もあって明るい印象だ。
 彼女の声を聞きつけたのか、玄関のすぐ脇にあった階段からひとりの女性が下りて来た。トスカと同じ浅黒い肌と輝く金の髪、年の頃なら20ほどだろうか。南方らしい鮮やかな花柄の、袖の無いワンピースを2枚重ねている。

「おかえりなさい、トスカ……そちらは?」
「んーと、友達? ごめん姉貴、ちょっと協会行って来るから」

 女性にリュックをひょいと渡しながらトスカは軽快にそう語った。

「……いつボクらが友達になったの?」
「一度共に戦えば友達よ。多少とっ散らかってるけど、まあゆっくりしてって」

 言うが早いが、トスカは誰かが呼び止める間もよこさずに夕闇に覆われた町へ消えて行った。
 しばらく一行は呆然とそれを見送っていたが、玄関を吹き抜けた冷たい風にふと我に返る。


「……ごめんね、落ち着きの無い子で」

 テーブルに最後のカップを置き、女性は呟くように言った。白地に青いバラの模様が入ったティーカップが、人数分行儀良く並んでいる。
 エイルは誰よりも早く砂糖壷に手を伸ばしたが、女性の顔を上目で見て一瞬だけ手を止めた。

「でも、明るくて、よく気が付いて……とてもいい子よ」

 そう言った彼女の顔は、何故かとても悲しげだった。
 太陽が今日もまた地平線の彼方に消える。その後を追うように昇る月の光が、その日はやけに淡かった。

ニルソン氏! ……お粗末さまでした。
馬を飛ばす主人の肩の上で枝を掴もうとするサルなんて分かる人居るのかなぁ……?
何だかんだで2ケタ行っちゃいましたよ蒼天の歌。
えーと、とりあえずトスカの故郷到着です。白魔だし、数少ない女の子だし、彼女は今後レギュラー入りだろうなぁ……
とか言いつつ、続きがなかなか思いつかない罠(爆
という訳で、今回はここで退散! 次回をお楽しみ……に?(疑問形)


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