第12話〜豪雨の挽歌



 静かな暗闇の中、彼らはただ立ち尽くしていた。
 否、音を立てるものは確かにあった。激しい雨がどうどうと石畳を叩き続けていた。
 石畳だけではない。白い瓦礫の連なりにも雨は滝のように降り、塵のような細かな欠片を洗っていた。
 しかしその音さえも静寂の一部にして夜は飲み込んでいた。

「……嘘でしょ…………姉貴、どういうことよ!」

 薙刀の石突を濡れた道に叩きつけ、トスカは怒鳴った。激しく燃えている妹の瞳を覗くようにして、ティカは悲しげに首を横に振る。

『ごめんね……トスカ、私』

 しかし彼女の姿はもはや人のそれではなかった。シルエットにはまだ人のそれが残っている。しかし身の丈は元の彼女の2倍近く、その腰の部分は異様なほどに細い。
 何よりも特徴的なのはその腕で、もう少しで地面に着きそうなほどの長さがある。トスカの薙刀と同じくらいにもなろうか。
 彼女には、顔すら無かった。どこから発しているのか、木霊のような声で彼女は続けた。

『こんなはずではなかったの……私は、ただ、あなたに……』
「……なによ。あたしに何なのよ!」
『……勝ちたかった』

 豪雨の中、彼女の声は不思議に通っていた。


 ☆ ★ ☆


 その日の太陽が沈みきって数刻の後、エイルはそこに居る筈の無い人物と食堂のテーブルで再会していた。

「あれ? 帰ったと思ったのに、どうしたのさ」
「……うん、まぁ予想の範囲内だったんだけどさ……会議にかけてからまたあたしに何か言ってくるとかで、二、三日首都で待ってろだってさ」

 全く、と大げさにため息をつき、トスカはスパゲティにフォークを突っ込んだ。
 少し時間を外している為か人の姿は多くなく、彼女も十人ほどが掛けられる長テーブルの左側――入り口から遠い方の端にひとりで座っていた。
 自然と少年たちも彼女の隣,或いは向かいの方に座る流れになり、たちまちそのテーブルの半分以上が埋まる形になった。
 彼らにメニューを回しながら白魔道士の少女はそういえば、と思い出したように続けた。

「あんたたちにも召集かかるかもね。その場に居て戦ったんだし、今現在ここにいる訳だし……ところでさぁ」
「ん?」
「随分変わった構成よね。見た感じ、出身地バラバラだもん。冒険者かなんか?」
「いや、成り行きでちょっと……な」

 小エビにフォークを突き刺しながら問うた彼女にそう答え、アレグロはコップの中の冷水を喉に流し込んだ。
 ふぅん、と頷き、トスカは巻き取ったパスタを頬張りかけて不意にそれをやめた。
 ウェイトレスの手元を見ながらトスカは笑い、食べる為に開きかけたその口から言葉を紡ぎだした。

「あ、アクアパッツァ取ったの誰? ね、あたしにもちょっと分けてよ!」


 ――そんな平和な晩が打ち破られたのは、それから僅か数十分後だった。
 食堂の扉が破られるように開かれ、三十歳過ぎほどの男性が飛び込んできた――余程慌てて来たのか、髪も服も乱れきっている。

「こ、ここに居たのか……トスカちゃん! 今すぐ戻ってきてくれ……ラロスが……」
「いきなり何なの? 今すぐなんて急じゃない!」

 そう言いながらもトスカはコーヒーカップを投げるように置き、立ち上がっていた。男性は息を整える間も惜しいというように口を開き、

「ああ、もう何て言ったら良いか分かんねえ……でも、とにかくありゃトスカちゃんじゃなきゃもう無理だ!」
「ちょっ……そんなんじゃ全然何が何やら……ねえ、もう!」

 トスカを引っ張って食堂を出て行きかけ、彼は振り返った。

「……あんたたち、誰かは知らないが……戦士かなんかだろ? 一緒に来てくれ!」
「だから、ロレンツォ……もう! あんたたち、待ってるから!」

 そう言い残すと、トスカは半分引き摺られるようにして食堂を飛び出していった。
 開けっ放しにされた扉から夜風が吹き込んでくる。初夏とは言え、夜の空気はひんやりとしている――エイルはティラミスの最後のひと口を飲み込み、正面で既に椅子をテーブルに寄せているアレグロに問うた。

「……行くの?」
「最低限の装備は解いていなかったな? すぐ行くぞ!」

 言うが早いが早足に出て行った彼の後ろ姿を見ながら立ち上がり、リエルが呟く。

「やれやれ……正義感が強いって言うか、せっかちって言うか……」
「……ま、俺たちがサポートしてやればいいだろ?」
「……それもそうだね」

 珍しく微笑交じりに返したクレハに対してひとつ頷き、彼は軽い足音を立てて騎士の後を追って行った。

「しょうがないなぁ、もう……」

 ため息をつき、エイルも立ち上がる。扉をくぐった瞬間、何故か昨晩の違和感が頭を掠めて消えた。


 乗り合い馬車の駅に着くと、トスカがそこで待っていた。その手にあのオルゴールを持っている。
 6人を確認するとトスカは頷き、オルゴールの蓋を開けた。それを「片付けた」ときの逆回しのように光の粒子が流れ出し、一塊になって飛空艇が現れた。

「ロレンツォはもう馬で行ってる。夜だし、なるべく低いとこを飛べば大丈夫よ……飛ばすからね?」

 それだけ言うと彼女は艇に飛び乗り、操縦桿を握り締めた。ロレンツォから何を聞かされたのか、その顔は星明かりの中で青ざめて見える。

「急いで!」


 ☆ ★ ☆


『あなたは明るくて、賢くて、手先も器用で魔法も出来て……自慢の妹だったわ』

 豪雨の町にひとり立ち尽くし、ティカは静かに語り出した。

『私には、あなたしかなかった。確かにちょっとだけケアルが使えたかも知れない。でも、あなたにはかなわなかった……何をやっても、あなたは私より優秀だったわ』
「……」
『いつもそうだったわ』
「そうかしら」
『そう。……そうだったのよ』

 沈んだ声でティカは呟く。トスカは歯を食い縛り、薙刀の柄をぐっと握り締めて姉を見上げた。

『彼女は私に言ったわ。”妹よりも優れたものをあげる”って』
「……で? その挙句が、今のこれだって言うの……?」
『悲しいことにね。私、あなたと戦いたくない。殺したくない……でも、この身体はあなたと戦おうとするの。今すぐにでも殺してしまおうとするの』

 ごめんね、と最後に言うと、ティカの身体は彼女の意思の呪縛を断ち切った。
 長い腕の先に伸びた爪が振り上げられ、トスカの身体を切り裂かんと真っ直ぐに振り下ろされる!
 トスカは頭上で一文字に構えた薙刀でこれを受け止めたが、凄まじい力に押されて吹き飛び、背中から瓦礫の山に突っ込んだ。
 が、その瞬間彼女の周囲に柔らかな光が集まる――回復魔法だ。

「ディア、サンキュー!」

 魔法の主に叫ぶと、トスカは飛び出した。先ほどのお返しとばかりにティカの爪の生え際、人間で言う小手の部位を狙って鋭く薙刀を繰り出す。
 殺すのではない――ただ、戦闘不能まで持ち込むだけだ。自分にそう言い聞かせ、相手に刃が当たる感覚にくっと前の手を締める。
 だがしかし、その刃は敵の”小手”の上を滑り、彼女の身体を前にぐいと引っ張る。正しく打ち出した攻撃にも関わらず、効いていない――刃が通っていないのだ!

「う、うわ!」

 得物に引っ張られてつんのめったところで更に瓦礫に足を引っ掛け、体勢を崩す。その隙を逃さず、ティカは爪の一撃を繰り出した。
 ――爪が引き裂いたのはトスカの背ではなく、空気だった。ティカの懐に飛び込んだリエルが、その腕の真下からサマーソルトキックを叩き込んでいた。
 そのまま後ろ宙返りで着地し、彼は呟く。

「厄介だなぁ……瓦礫で足場は悪い、豪雨の夜で視界も最悪。数はともかく地の利なら絶対にこっちの分が悪い」
「全くよ。もうっ、姉貴のバカ!」

 後方からクレハの放った矢が叩き落されたのをちらと見、トスカは飛び退りながら八相に構えた。


 不意に背後に聞こえた足音にエイルは振り向いた。真っ暗な中に白い肌と青い双眸が辛うじて浮かび上がっている。
 どこから現れたのか、とにかく今までここに居なかったことは確かだ。ファレンツァの髪に挿した羽根はまだ乾いている。

「……お前は何もしないのか?」
「ボクに何が出来るっていうのさ。ボクはただの詩人。レンと違って戦えないの」
「……僕が”ただの詩人”ではないとでも?」
「キミのどこが”ただの詩人”なのさ」

 エイルの会心の切り返しにもまるで動じず、ファレンツァは背中のリュートを構えた。

「嫌な雨だな……一度きりだ。行くぞ……」
「一度……って、ねぇ何……ちょ、ちょっと、待ってってば!」

 うろたえる少年などお構い無しに彼はひとつ小さく呟き、歌い出した。ビブラートの効いた低音が唸るように響く。雨音と剣戟の中、ファレンツァはともすれば聞き逃してしまいそうな程抑えた声で歌っていた。
 テンポの速い、ごく短い歌だった。と、周囲の空気がほんの少しざわめいた。ファレンツァは目を閉じ、口の中で何事か呟いた。

「……」
「……どうしたのさ? 何も起こらないけど」
「当たり前だ。今歌ったのはあくまで旋律と歌詞だけ、そこに意志は伴っていない。いかに呪歌と言えども意志なき歌はただの音の塊に過ぎない」
「……よく分かんないけど、つまり”こうしよう”って思って歌わないとボクらの歌は何も起こさないってこと?」
「そう思えばいいだろう。間違いではない」

 言い残して立ち去ろうとしかけ、彼は今気付いたように振り返って薄い刃を投げ放った。ティカの居る方向だ。

「彼女なら、目を狙うほかに倒す手立ては無いぞ」
「目?」

 エイルが首を傾げると、ファレンツァは不意に魔力を集中させるような素振りを見せた。

――ルーメン・デ・ルミネ

 よく通る、彼にしては大きな声ではっきりとファレンツァは歌った。エイルがこれまで口にしてきた古代語とは明らかに響きが違う――別の系統の言葉なのだろうか?
 空気が震えたと思った次の瞬間、辺りが照らし出される。昼間のように明るいのだが、不思議なことに全く目が眩むことが無い。
 そしてエイルがティカの”顔”を見ると、確かに”目”と言えそうな部分があった。顔のやや左上寄りの部分に緑色の宝石が見える。
 しかしそれは普通の武器が届く高さではない。トスカの武器を以てしても、威力のある打突を狙うのは不可能だ。

「……で、さっきの歌の出番ってこと?」

 問うたが、既にファレンツァは姿を消していた。
 やるしかないか、と呟き、立ったまま片足で地面を叩いてリズムを取り始める。――そう言えば、何の歌かも聞いていない。
 だが、もう後には引けないと思えた。今起こるべきことを思い浮かべ、歌がその結果へ導いてくれることを願いながらエイルは口を開いた。

グーニンスジール フォウ ナイアーク イメーネ イム フクタック

 言葉の意味は分からない。以前旅先で出会った同業者に教わった単語がひとつふたつ混ざっていたが、一番肝心なところは知らない単語だ。
 しかし、歌は確かに彼の意志通りにクリスタルの力を引き出してくれた。
 青く細い稲妻の鎖が何本も飛び出し、ティカの全身を絡め取る! 抵抗できず、ティカは地に膝をつけた。

「今だよ! その緑のやつだ!」
「……了解!」

 エイルの声に応え、トスカは一歩踏み出しながらその薙刀を額の上まで振り上げた。そして踏み出した足で大地を蹴り、飛び込んで相手の面を打つ!
 真っ直ぐな軌跡を描いて振り下ろされた刃が、濃緑の石に吸い込まれるように当たり、粉々に打ち砕いた。
 敗者の悲鳴が尾を引いて町に響き渡った。

文中に登場する「アクアパッツァ」はイタリアの煮込み料理です。ブイヨンなどを用いず水だけで魚介類とトマトやオリーブを調理します。食べたことないです。
で、久々の戦闘シーンです。視点が固定してなくて何が何やらOTL 課題です。
もう少し先まで書いてからアップする予定でしたが、テンポとネタ(待)の都合でここで切りました。
……ちなみにレンの「別の」古代語、そのまま翻訳できます。さて何語だ?


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