|
あれから数日。 海沿いの道を乗り合い馬車はがたごとと行く。窓から差し込む陽光が雲に遮られ、ふっと視界が暗くなる。 「……レン、どこに居るんだろ」 ☆ ★ ☆ 雨中の戦いの翌朝、半ば廃墟と化したラロスの町にアディータ治安局員が駆けつけてきた。 ティカは生きたまま元の姿に戻っていたものの、その左目は石のように透明感を失ってしまっていた。 「ごめんなさい……こんなことになってしまって」 大きな瓦礫に腰掛け、俯いたまま彼女は語り始めた。 「トスカ、あなたが出かけたその日……昨日のお昼過ぎにね、彼女が尋ねてきたの。ううん、知らない人よ。彼女、家に上がるなり言ったの……」 「……”あたしよりも優れたものをあげる”?」 「そう。”優秀な妹さんをお持ちなのね”……”あなたはそれ以上の何かを持てる”……”妹さんよりも大きな存在に変われるわ”……」 ティカの言葉が瓦礫の上に零れ、朝日の煌きを翳らせる。トスカの後ろに立ってそれを見つめながら、エイルは何とはなしにウォルギフの宿を思い出していた。 「彼女の言葉は……そう、甘くじんわりと……急速に私の中に染み込んだ」 「……」 「まるで、月の無い夜の眠りのように」 「……でも、どうして? どうしてそれであんなことに!?」 トスカの叫ぶような問いかけに、ティカは握り締めた拳を胸に当てて小さく答えた。 「……分からない。覚えていないの……気が付いたら、身体はどうしようもない衝動に支配されていた」 沈黙が場を包んだ。どこか遠くに復興作業の槌音が聞こえる。 暫く続いていた鳥の鳴き声が止み、槌音は一層高く響く。――何とも微妙な重さの沈黙だ。 空きすぎた間を繕うように、アレグロはふとティカに問うた。 「……そう言えば、さっきから話に出てきている”彼女”……一体どんな人間だったんだ?」 「人間……」 低く呟き、ティカは眉根を寄せる。 「本当に人間だったのかしら。何かこう、もっと……そう、人形のような。今思えば、妙に人間離れした空気が漂っていたわ」 「……人間離れって? それじゃ、まるで魔物かお化けみたいな」 言いかけて急に口をつぐみ、すまなそうに見上げたアルティアをティカの瞳が捉える。彼女は最後の言葉に目を大きく見開き、頷いた。 「そうかも知れない。焼き物の壷のように真っ白な肌に、透き通った瞳だけが血のように赤く浮かんで……そういえば、髪も白かったわ。私と同じくらいにしか見えなかったのに……」 「アルビノ……?」 殆ど誰にも聞き取れないような声でディアが呟く。が、誰もがその声を聞き逃したわけではなかった。 「……って、何さ?」 「え? あ……その」 「生まれつき身体の色素が欠如している個体、って言うべきかな。白い兎って見たことないかい? ああいうのだよ」 エイルに聞き返されるなどと予測していなかったのだろう、ともすれば泣き出しそうな表情で言葉に詰まったディアをリエルが慣れた調子でフォローする。 兎ねぇ、と呟くエイルの横で、ふっとアルティアが首を傾げる。 「……白い髪?」 「髪がどうした?」 「いえ、なんかちょっと……どこかで聞いた気がして」 そう返されてアレグロも同じように首を捻る。確かに聞き覚えがある言葉だが―― と、リエルが顎にやっていた手をぽんと叩いた。その深紫の瞳は内側からの光を乱反射するように煌いている。 「……レンだ」 「レン……? あぁ!」 一瞬逆方向に首を捻りかけ、アレグロも頷いて人差し指を目の前の空に立てた。 一方未だに何も思い出せないエイルとそもそも昨夜の戦いまでファレンツァの姿を見てすらいなかったディアは、騎士の指が指した先を見つめながら顔を顰めるしかない。 鼻の上に皺まで寄せ始めたエイルのマントの裾を引き、アルティアが囁いた。 「……ほら、あの時だよ。森の村の舞台……」 「森の村? ……あぁ、そう言えば居たっけねぇ、レン」 それが何か、と言いたげな彼に向かい、リエルが幾分低い声で”その言葉”を再現してみせた。 「――”白い髪の女に雇われた”」 その静かな台詞に一同は深く頷いたが、当の少年はまたも首を傾げる。 「言ってたっけそんなこと」 「ああ、確かに言ってたぞ。お前、覚えてないのか?」 「そりゃレンの言うことっていちいち意味深だけどさぁ。ボク、興味ないこと……とか、良く分かんないことはあんま覚えないんだよ。クレハとは記憶回路のでき方が違うの」 「へぇ、お前の頭の中には前時代の機械が埋まってたのか? 回路が要るようなものがまだそんなとこで動いてるとは知らなかった」 「……お前、やっぱ馬鹿だったのか?」 真顔で返したクレハの背中に哀れむような視線を向け、アレグロが前髪を掻き上げるように掴んで俯いた。 そこでまた、沈黙。いつの間にかまた鳥の囀りが聞こえていた。 暫くの間を置き、治安局員が口を開いた。 「……ティカ=セレスト、トスカ=セレスト。首都まで、ご同行願おうか。……そちらの戦士殿方も」 ☆ ★ ☆ 「知ってるくせに教えてくれてないよ、あれ。何なのさ、全く……レンってば、全く!」 「さぁね……? 教えない方がいいことも、知らない方がいいことも……世の中には掃いて捨てても捨て切れないくらいあるからね」 窓の外に向かってふん、と鼻で息をついたエイルに対し、同じ窓の向こうを見やったまま醒めた声でリエルが返す。陽の光にすっと細めた瞳の色が妙に冷たい。 そんな旅芸人ふたりを横目で見、白魔道士の少女は組み合わせた手の上に顎を乗せて誰にとも無く呟いた。 「……皆さ、それぞれ違うことをやる為に旅してたんだよね?」 「ん?」 「だからさ、騎士さんは国の仕事で旅に出た訳でしょ?」 「あぁ、まぁ……」 「んで、クレハも自分の仕事であんたに同行しててさ。あたしも国……って言うか、協会に言われて旅してるとこがある」 アレグロの答えは妙に歯切れの悪いものだったが、トスカは敢えてそれに触れていないように見えた。 「まぁ、あたしは”無理することはない”って言われても自分で決めたんだけどさ。あのまま姉貴と居ても、きっとすっきりしないし」 あの後、アディータの各魔道士協会から大規模な調査団が各地に送られることが決定した。トスカにも幾分遠慮がちな声が掛かったが、彼女は調査に参加すると申し出たのだ――ただし、個人として。 「――で、何の話してたっけ……あぁ、そうそう。他の連中は……どうして騎士さんたちにくっついて旅してんのかな? なんてね」 おどけたように言った後、彼女は別に教えてくれる必要もないか、と付け加えた。翠玉の瞳が一瞬だけリエルの横顔を捉えた直後だった。 が、一秒にも満たないその視線に紫電の踊り子は気付いたらしい。吹き込む風に髪を遊ばせながら、彼はゆっくりと振り返った。 「……行き場、かな。うん。そう……このままフラフラ旅してても、どうせ行くところはないからさ。きっと、決まった居場所が欲しくなったんだと思う……結局まだ一緒に居るところを見ると、さ」 「そう……そう、ですね。オイラも、きっと同じだと思う。二年の間、ひとりであても無く暮らしてて……すっごく、人が恋しかった」 リエルの独白のような答えに頷き、アルティアが小さく仲間たちを見回す。最後にその視線を隣に座るエイルに移し、彼は小さく首を傾げた。 「――ボク? ボクはなんてことないよ。成り行き、成り行き。ふたりみたいに、居場所とか考えたことないや。運命だったんじゃない?」 まるではぐらかすような軽い口調。いつも通りのようで、いつもと少し違うような響きだった。例えるなら、ほんの少しだけ季節を外した蝶が無くなり始める花を求めるのを見ているような。 しかし、この場にわざわざその蝶を捕らえようとする者は居なかった。ただ、トスカが明るく笑っただけだった。 「あっはは、運命か! いいじゃない、それ。……あ、そうだ。次の行き先のこと、聞いてもいい?」 「ああ」 頷き、アレグロは荷物の中から一枚の羊皮紙を取り出した。それをばさりと広げ、咳払いをひとつ。 「じゃあ、とりあえず読むぞ――あぁ、欠けてるとこは飛ばすからな」 ひとつに規律、ひとつに真実、あとの……は誰にも知れず 山に抱かれしその扉 もし君開かんとぞすれば 昇る光を鍵と成し 己が……を示すべし 心の奥に燃ゆるもの 心の奥に潜むもの はじめの門が試すもの はじめの民が……もの ……が真なれば ひとつの門は開くなり そこでひとつ息をつき、アレグロは顔を上げた。 「何だか何が言いたいのか分からん文だが、文句を付けても仕方ないな」 「全くだね。っていうかその言い回し、何か古めかしくない? いつの時代の文なのさ」 その疑問に答えたのは、向かいの席に掛けていたリエルだった。 「文法的に大体五、六百年前ってとこかな。本自体はもう少し最近のものみたいだったけど……」 「本? リエルさんが見つけたんですか?」 「僕じゃないよ? ディアと一緒にネイルスの図書館に行ったときに、ね。僕は書庫に入れてもらえるように交渉しただけさ」 さりげなくその場を離れようとしたディアの首根っこを片手でしっかりと捕まえ、彼は言い切った。一方のディアはゆったりとしたマントを掴まれた姿勢のまま、半ば観念したような顔で眉間に皺を寄せている。 ディアの淡い鳶色の瞳が彼の主人を捉え、その観念の表情は一層濃く彼の顔を染め上げた。 「そんな……こと」 「無いとか言わない」 背後の手から解放されると同時に後ろ頭を小突かれ、ディアは前のめりに倒れかかる。更に不運なことに、と言うべきか、同じタイミングで馬車が大きく揺れ―― 「う、うわっ!?」 「危ない!」 咄嗟にアルティアが手を伸ばすが、彼の腕では年上の若者の体重を支えきれない! 二人揃って床に倒れ込むかと思われたが、それより一瞬早くアレグロが立ち上がっていた。 安堵か呆れか長いため息をつき、アレグロはそのまま両手でひとりずつ捕まえた魔道士を引っ張り上げる。 「……大丈夫か?」 「う、うん……」 「あ……ありがとう、ございます……」 見た目こそ全く似ていない二人だが、並んで縮こまるその姿はまるで兄弟のようだ。くすくすと笑い出したのは誰が最初だっただろうか? 楽しげに空色の瞳を細め、エイルが茶化す。 「ほんっと、似た者同士って言うの? なーんかもう、どうしようもないみたい」 その言葉に、二人がまた揃って呻く。したり顔でエイルが首を傾げてみせたその時。 馬車が何の前触れも無く止まった。 |