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「事故だったんだ」 言いながら俯き、リエルは一瞬だけ視線を斜め下に流した。絹のような前髪がその目にかかり、表情を隠す。 髪を鬱陶しげに手で払い、しかし顔は上げないまま、彼は続ける。 「事故で、ね……うん。ディア、炎に巻かれて……命に関わるような酷い火傷を負ったんだ。まだ十二歳だった」 傍らで眠っているディアを見る目は、従者を見る目と言うよりはむしろ対等な幼馴染を見る目に似ている。 エイルはふとそう感じたが、何も言わずに頷いた。 その向かいでクレハがふっと斜め上に目をやり、すぐに元に戻した。何故だろうか、その青い瞳の光が一瞬弱まった気がする。 「それ以来だね……それまで何とか炎に慣れようとしていたのが、全く駄目になって……ほんの小さな火にさえ近づけない程に、炎を怖がるようになった」 「……リエル様」 「!」 横からの声にリエルは目を見開いたが、ディアの横顔を覗き込んで柔らかく微笑んだ。 「……大丈夫。ただの寝言みたい」 「……あ、あの……それじゃ」 向かいの席で寝息を立てる赤魔道士の長い銀髪に目をやり、アルティアが目を伏せる。 「ディアさん……オイラの魔法のせいで……? オイラが、炎の魔法なんか使ったから……」 俯き、目に涙を溜めてアルティアは肩を震わせた。手を伸ばして彼の髪をくしゃくしゃと撫で、リエルはそっと囁いた。 「大丈夫さ……君のせいじゃないよ。黙ってたディアにも、僕にも責任がある。君が泣くことないよ」 「だけど……けど!」 「あぁもう、エイルの言う通りだよ……その、自分で責任被りに行くところ! ディアそっくりだよ、全く」 また目の上に垂れてきた前髪をばさばさと払うと、彼は大げさにため息をついた。 「だから、これ以上謝らないで……頼むから、さ。それに、ディアも頑張ってはいるから……キャンプを張った時とか森の戦いの時は、別に何ともなかったろ?」 「あ……そう言えば」 「まぁ、必死で顔に出さないようにしてたみたいだけどね。可愛いもんだったよ」 冗談っぽく言いながらディアの肩を軽く叩いて見せたリエルに、ようやくアルティアが笑みをを見せた。 涙を拭いながら腫れかけた目で笑い、彼は言った。 「リエルさんのそういうとこ、エイルに似てると思いますよ?」 「……ねぇアル、それどういう意味?」 いぶかしむ時の癖なのだろう、いつものように片目を細めてエイルが隣の弟分に問う。 答えずに笑いながら首を傾げたアルティアに代わり、アレグロがあっさりと答えた。 「保護者面してるってことだろ?」 そのひと言に旅芸人ふたりが同時に瞬く。ひとりは笑いながら、ひとりはむくれながら。 「あはは、保護者面かぁ。そう見える?」 「むぅ……そんな言い回しないでしょー?」 「……こういうところは似てないわね」 呟き、トスカが肩をすくめる。しかし、その瞳は確かに笑っていた。 ☆ ★ ☆ 街道の右手に、確かに道があった。しかしその道は生い茂る草に埋もれかけ、突き出た葉によって更に細く頼りなく見える。いつ行き止まりになっていてもおかしくない雰囲気だ。 御者はその道を覗き込み、振り返る。 「この道だがな。……ところであんたら、どこへ行くつもりなんだ?」 「第一の門……確か、エルゥと言ったか」 「エルゥ……聞いたことねぇなぁ。どの辺だ?」 「環晶山脈の東端、らしいが……詳しい場所はどこにも記されていなかった。ここから進める確証もない」 答えながら狭い道の奥に目をやり、アレグロはまとまりの悪い髪を掻き上げた。鎧を着たまま蒸し暑い馬車の中に居たせいで、その額はうっすらと汗ばんでいる。 彼より大分低い位置にある視線を同じ方向に向けながらエイルが一歩進み出る。更に一歩足を進めたところで立ち止まり、瞑目してエイルは低く歌った。 「えーっと。――ダオル ウォンク、ウオィ オト ダオル エフト ウォース イ」 未だに耳の奥に残っている旋律に乗せ、うろ覚えの古代語に意志を滑り込ませながらエイルは歌を紡いだ。 以前、ファレンツァが彼に道を示した歌だ。だが、エイルはこの詞の意味するところを今ひとつ理解できていない。何か起これば幸運、程度の軽い気持ちだった。 ぬるい風が吹き抜ける。道の両脇にぼうぼうと伸びた草が気持ちよさげにさらさらと歌ったが、それ以上のことは何も起こらなかった。 ため息をひとつつき、エイルは呟いた。 「ダメもとだったけど、やっぱダメかぁ。レンみたいには行かないや」 頭の後ろで腕を組み、そのまま吟遊詩人は振り返る。 「で、進んでも何にも無いかも知れない訳だけど……進むんだよね?」 「戻っても仕方ないが、進んでもどうなるか分からない。なら進むしかないと思うが?」 「ふぅん……そういうもんかなぁ」 「あたしはアレグロに賛成だけどなぁ。じっと待ってるのは性に合わないのよ……さ、リーダーに続け!」 最後に明るく言い放ち、トスカは既に草いきれの中に足を踏み入れている騎士の後を駆け足で追いかけていった。 他の仲間もそれぞれ続き、エイルひとりがそこに残された。アルティアが足を止めて振り返る。 「……エイル?」 「ん? うん、行くよ」 頷き、彼もまた駆け出した。 真昼の太陽が少年をじっと見下ろしていた。 ☆ ★ ☆ ゆるい上り坂に茂る草を掻き分けて進むことおよそ1時間、既に道は見えなくなっていた。しかし低木や丈の高い草の生えていない場所が連続的にあり、場所によっては土がちらほらと見える。恐らくは、人がたびたび通って出来たものであろう。 大きく息をつき、アレグロは目の前を行くクレハに問う。 「おい、この先は森みたいだが……まだ続いているのか?」 「お前、この痕跡に続いてて欲しいのか? それとも続いて欲しくないのか?」 振り返り、クレハは問い返す。汗ひとつかいていないが、彼の軽装だけではそれを説明できない。来ている服の色は黒だし、第一ここまでずっとだらだら坂なのだ。 「さあな。ここで途切れてたら嫌な想像しか働かんし、続いていればどこまで続くのかと思えるからな」 「そうか……続いてるよ。大分見えにくくなってるが……おい、大丈夫か?」 「問題ない」 袖で汗を拭い、アレグロは横を向いた。トスカが回り込んでその顔を覗き込む。 「顔赤いわよ、本当に平気な訳? ぶっ倒れられてもあんたを引きずってける奴居ないわよ」 「あぁ、暑いのは確かだが身体の方は大丈夫だ。これしきで音を上げていて、騎士が務まるか?」 「あ、そう」 クレハの後に付いて森に踏み込んでいった彼の背中を見送り、トスカは肩をすくめる。それと同時に彼女は指をぱちんと鳴らした。 鈴の音に似た魔法の音が微かに響く。アレグロが振り返り、一瞬不器用に微笑んだ。 その場で立ち止まったままトスカはそれに片手を挙げて応じる。その手を下ろしながら、彼女は振り返った。 「……そう言えばディア。あんたは平気なの?」 「え? あぁ、はい……」 戸惑いながら答えたディアの顔に赤みが差しているのは、どうも暑さのせいではなさそうだ。潤みがちな瞳が一瞬震えたのが確かに見えた。 彼の脇まで歩み寄り、エイルはその袖を引きながら斜めにディアを見上げる。 「ホントだろうねー? こんな分厚い、それも長袖……見てるこっちが暑くなるよ」 ディアの着込んだ厚手のマントは顎近くまでを覆うもので、その袖も手先が隠れるほど長い。 湿った熱気を覚悟してエイルはその袖に右手を差し入れた。袖の中でディアの手が硬くなっているのが分かる。 「……え?」 ディアの袖から手を抜き、エイルは自分の指を見つめた。 指先に感じられたのは服の下に閉じ込められた熱ではなく、初冬の風のような乾いた冷たさだった。 「どういうこと? 冷たい……」 その声にトスカたちも瞬く。先行していた二人が立ち止まり、こちらを振り返っている。 困ったように髪留めを弄っていたディアが更に顔を赤らめ、片手で顔を隠しながらぼそりと言った。 「あ……あの……これ、……冷気の魔法を掛けてるんです……弱めて、ですけど」 納得したように頷き、トスカが口を開く。 「なんだ、そういうことか! でも、凄いじゃない。あたしなんか、そんな繊細な魔力調整やらないもん」 緑の瞳と金髪が陽光にきらきらと輝く。眩しそうに目を細め、ディアは何か言おうとして――そのまま森に駆け込んでいった。 その後を追いかけながら、トスカは隣を走るリエルに囁いた。 「……なるほど、可愛いもんね」 「僕よりあいつの方が兄さんだけどね……そういえば、君っていくつだっけ?」 「ん? 十七よ。さっきの話からすると、六年前に十二っつったから……ディアが今十八か。あたしよりも年上ね」 「そうなるね」 互いに悪戯っぽく笑い合い、二人はそのまま仲間の元まで駆け抜けていった。 ☆ ★ ☆ 先ほどまで頭上に降り注いでいた太陽の光は、既に半分近くが頭上に茂る木の葉に遮られている。 土の匂いと流れる水の音、それに吹き抜ける風に身体が癒されるようだ。ふと見上げると、美しい青色をした小鳥が枝に止まって柔らかな羽を繕っていた。 と、クレハが立ち止まる。おもむろに背負っていた弓を取り、彼は油断無く周囲を見回して呟いた。 「……何か居る。敵意は感じないが、気をつけたほうがいい」 全員に緊張が走る。蛇か、或いは魔物か。剣の柄に手を掛けながらアレグロが囁く。 「……どっちに居る?」 クレハは答えず、素早く矢を放った。右手側に伸びるひときわ高い木の梢近く、豊かに茂った濃い緑の葉の中に矢羽が吸い込まれて消えた。 枝の折れる音、そして大量の葉が擦れる音が響く。そして―― 「うわっ!」 「……人?」 首を傾げ、エイルは”何か”が落ちた、そして声のした方向へ近づいていく。聞こえた声は大人の男のものではなく、エイルと同じほどの少年の声に聞こえた。 茂みを掻き分け、足を踏み入れる。 確かに、人が居た。声から想像した通り、十代半ば程の少年だ。射られた際に枝から転げ落ちたらしく、足首まである草の中に座り込んでいる。 「痛てて……あっぶないな、いきなり何すんのサ!」 後ろ頭を擦りながら彼は怒鳴る。紺色の短い真っ直ぐな髪、大きい訳ではないが強い意志を感じさせる瑠璃色の瞳。それまでに会ってきた多くの人間とは違うと、エイルは直感的にそう思った。 背後からアレグロが顔を出し、クレハに代わって少年に詫びる。 「すまん、てっきり蛇か魔物だと思ってな。怪我はないか?」 「怪我? はっ、こんくらいで怪我なんかしないってね。大体、この辺りに魔物なんか……あぁ、この辺はちらほら出てるか」 頬を人差し指で掻き、少年は最後にそう呟く。オーバーオールの尻をぱたぱたと払い、彼は立ち上がった。 「この辺りに……って、キミ、ここら辺に詳しいの?」 「詳しいも何も、地元だがね。あんたらこそ、こんな所に何の用だ?」 「エルゥという集落を探している。心当たりはないか?」 アレグロの言葉に少年は一瞬目を丸くし、次ににっと笑った。 「何だ、そういうことかい! 第一の関門に用があんだな? よし、連れてってやるよ」 両手の指を鳴らすふりをし――実際は鳴らせないのか、音はしなかった――少年は元気良く走り出した。 兔のように軽やかに走って行き、彼はひょいと木の枝に足をかけて苦も無く登る。 「何ぼさっとしてんだ? 置いてくぞー!」 「ま、待て! 君は……」 「住んでんだよ、そのエルゥに!」 アレグロの心を読んだかのように答えを告げ、彼は次の枝に飛び移る。葉陰に小柄な影が消えた。 「お、おい待て! 見えるところを走ってくれ!」 声が聞こえたらしく、彼はすぐに現れた。 つまらなさそうに後ろ頭に手をやり、しかし彼は分かったよ、と頷いて腰まである茂みに入り込み、手を振った。 茂みを分け、落ちた小枝を踏む複数の足音に驚いたのか、どこかで鳥の群れが慌てて飛び去るのが聞こえた。羽音の方向をちらりと見、少年は振り返る。 「なーに、秘密の近道使ってんだ。ちょっとばかし生傷は出来るかも知んないけどな、すぐ着くサ」 笑った口元で、白く尖った犬歯が光った。 |