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ぐっとルーリィが一際強く石を握り締める。一度目を閉じて深呼吸し、彼女は文献に目を落とした。その瞳の色が、僅かに緑がかったものに変わっている。 「さて、行くかんね。えーと何々……」 微かに緑の光を帯びた瑠璃の瞳が掠れた文章をなぞっていく。ルーリィは時に頷き、時に首を傾げながらすらすらと視線を流していった。 文章の最後の行まで目を通し、彼女は顔を上げる。 「読めたよ。かいつまんで話すとナ……」 彼女の語った内容はこうだった。 クリスタルを守護するのは”規律”のエルゥ、”戦士”のレイロウ、”荘厳なる”マエストーソの三つの関門である。 それぞれの関門はクリスタルに近づこうとする者を試し、その基準に値する者だけに門を開く。 資格無き者はどうあってもその門をくぐることは出来ないが、そもそも三つの門全ての資格を満たす者は少ないこと。 「まぁ安心しなよ。一度拒まれたらもう駄目なんてこたぁないみたいだしサ」 ぱんぱんと手をはたき、ルーリィは胸ポケットにペンダントを押し込んだ。長い紐がはみ出し、ぷらぷらと揺れる。 くるりと振り返り、彼女は片手を振りながらあっさりと言った。 「じゃあ、また仕事に戻っから。またな!」 「あ、待てルーリィ! まだお前に……!」 「やだよー、そんなの帰ってからやるってば! 解読は夜でも出来んだろー! 狩りは日の高いうちってね!」 兄の手をひらりとかわし、ルーリィは階段を駆け上がる。その拍子にペンダントがするりと落ちた。 エイルがいち早くそれに気付き、拾い上げる。 「あ、ルーリィ……!」 その瞬間、ペンダントの石が変化を起こした。エイルの手の中で一瞬跳ね上がり、翡翠色の太陽のように強く輝き出したのだ。 光は階段にも届いたらしく、ルーリィが慌てた様子で戻って来た。 「お、おい、それ……どうなってんだ? 凄い光じゃないか!」 「ボクが聞きたいよ! 何だよこれ、熱いくらいだ……!」 「とりあえず、石を放せ! あたしに返してみるんだ!」 言われるがままにルーリィにペンダントを投げ渡す。ルーリィの手の中で一瞬薄緑に光り、石は大人しくなった。 長い溜息をつき、少女はペンダントを今度こそポケットにきちんとしまう。 妹に困惑の目で見上げられ、セシルも首を横に振る。 ルーリィは腕を組み、エイルの顔をまじまじと見つめた。 「どういうこった……? こんな強い光、今まで見たことねぇや……見えない、あたしに見えないんだぞ……」 視線を逸らさずにぶつぶつと呟かれ、エイルは小さく顔を顰める。 「ねぇ、見えないって何なのさ? 何が見えないの?」 「あぁ、すまんすまん。あたし、エルゥ育ちの風使いだからさ。ちょっと色々見える訳」 軽く答え、彼女は再び取り出したペンダントをぽんと空中に放り上げる。石がきらきらと輝き、少女の手の中に収まった。 まだ訳が分からないと言いたげな一行に向かい、セシルが静かに口を開いた。 「……エルゥは、クリスタルに最も近い人里です。それ故、ここで生まれ育った人間は外の人間に比べて未だに強い力を持っているのです」 「そういうことサ。”風”の属性は”真実”……だから、意識してなくても見えるもんは見えるんだ。そうそう、さっきから気になってたんだけどサ、そこの……あー、銀髪の兄さん。あんた、見たとこ魔道士みたいだけど……炎の魔法、苦手だったりしない?」 「! ……何故、それを……」 ずばりと言い当てたルーリィに、全員が驚きの表情を向けた。 正解だったのが単純に嬉しいのか、ルーリィはにやりと笑う。が、すぐにその表情を引っ込めた。 「だから、色々見えんのサ。……でも、正直こんなにはっきりした”水”なんて初めてだ。どんだけ強いんだよ、これじゃ兄貴以上じゃないか……」 「……水?」 彼女の言い回しだけではその意味が理解できず、一行はそれぞれ首を傾げ、或いは捻る。 珍しく自信なさげな口調で、トスカがぽつりと呟く。 「もしかして、守護属性……?」 「でも、あれって強い弱いがあるものなのかな? 地水火風、クリスタルの司る四つの属性の中からひとつだけその人に付き、その特性にも影響する……」 「外の方じゃ、そういう話らしいナ。でも、厳密にはちっとばかし違うんだ」 トスカの言葉に疑問を零したリエルに向かって人差し指を左右に振り、ルーリィは兄を仰ぎ見る。 セシルはそんな妹に向かって肩をすくめたが、右の掌を上に向けて口を開いた。 「四属性、全ての守護が人には必ず付いているんです。どれが欠けても、生命は保てませんから」 「魔道士の兄さんも、”火”がまるで感じられないくらいだったがな。本当に”火”がゼロだったら、体温無くして死んじまうサ」 ルーリィの言葉に頷き、セシルは続ける。 「ただ、その中で最も強く現れる守護を通常は守護属性と呼ぶんです。確かに本人の能力や魔法との相性には関わりますが、性格にまで関わるかはちょっと微妙ですね」 「ちょ、ちょっと待って。それって、血筋は関係あるのかな?」 リエルに答えたのはルーリィだった。彼女は緩く腕を組み、落ち着いた口調ですらすらと語った。 ――活動的な印象しか無かったが、本当は頭だって悪くないのかも知れない。 「それも微妙な感じだな。ひとつの血筋に出やすい属性ってのはあるかも知れんが、多分絶対じゃないよ。あたしとすぐ上のあんちゃんなんか、風と土……反属性だぜ?」 「……そっか。ごめん、変なこと聞いて」 すぐに引き下がり、リエルはちらりとディアを見た。ディアは小さく頷き、謝るように目を伏せた。 ルーリィはそれを不思議そうに見ていたが、何も言わずに両の指を組んで兄に目をやった。 セシルは小さく息をついたが、折れたように頷く。途端にルーリィは瑠璃色の瞳を輝かせ、今度こそ地下室を飛び出していこうとした。 その背中に、思わずエイルは呼びかける。 「あ、ねぇ待って!」 「あん? 何だ」 振り返ったルーリィに向かい、エイルは片手を挙げた。 「あのさ、狩りってさっき言ったよね? ボクも連れてってよ」 「お、おいエイル!?」 「いいでしょ、アレグロ。どうせボク、本と睨めっこしても何が何だか分かんないんだもん」 「それはそうだがなぁ……!」 向こうの迷惑ってものを、と言いかけたアレグロを他ならぬルーリィが目だけで制する。 彼女は腰に片手を当て、もう片方の手でちょいちょいと手招きして言った。 「……いいよ、付いてきな。でも、うるさくすんじゃねぇぞ。獲物が逃げちまわぁ」 「よっしゃあ! 了ー解っ!」 両手をぱんと叩き、エイルは跳び上がる。騒々しく出て行く二人の背中を見送りながら、アレグロはちらりとセシルを見た。 「……良いのか?」 「大丈夫ですよ。ルーリィもあんな性格ですが、馬鹿じゃありません。それに、彼も多分妹と同じで」 「あぁ、言っても聞かないだろうな」 青年二人の溜息が重なる。実の妹にひらりひらりと小言をかわされるセシルに思わず日ごろ”アホ歌歌い”に振り回される自分を重ね、アレグロは階段の向こうを見やった。 そう言えば、と背後でトスカの声が聞こえた。 「ねぇ、セシルさん。あれ、何だったの? 門を入ってすぐの……」 ☆ ★ ☆ 大樹の中を滑り降り、ルーリィは鼻歌交じりに草を踏む。 そんな彼女の背中を追いかけながら、エイルは町に踏み込んでからずっと抱いていた疑問を口にした。 「ねぇ、あれは一体何だったの?」 「ん?」 ルーリィが足と、ついでに鼻歌も止めて振り返る。 彼女の最後の一歩が小さな音を立て、足元の湿っぽい空気を揺らした。 「あれだよ、ほら……町に入ったところにあったろ? あのクリスタル、一体何なの?」 「何って……そりゃ、クリスタルだろ」 何を今さら、と言いたげにルーリィは首を傾げる。細いヘアピンの間から零れた前髪のひと筋が眉にかかった。 そうじゃなくて、とエイルは手を横に振る。 「いや、さぁ。だって、エルゥは第一の関門って言ったろ? 何でそんな所にいきなりクリスタルがあるのさ」 「あぁ、そういうことか」 ぽんと手を打ち、ルーリィはその手を合わせたまま口を開く。 「ありゃあ、あたしらがクリスタルと共にあることを忘れない為にあんのサ。本物のクリスタルの欠片だって話だよ」 「欠片!?」 目を見開き、エイルは思わずのけぞりそうになる。 エルゥで見たクリスタルは大人の背丈ほどの高さがあり、その周囲も大人三人でようやく抱えられる程だった。 ルーリィは平然と頷き、胸元からペンダントを引っ張り出す。 「ん、欠片。本物はもっともっとバカでっかくて、すっげぇ力に溢れてるって話だぜ。まぁ最もそれもあたしらが生まれるずっと前の話で、最近は元気が無いみたいだが……」 その声が耳を通り抜けて行く。欠片、という単語がエイルの中でがんがんと響いていた。 ルーリィが不思議そうに見つめているのに気付き、慌てて首を振る。そうした所で、纏わり付く言葉が振り払えた訳でもないのだが。 ペンダントを手の中でくるりと回し、ルーリィは呟くように言った。 「忘れないで生きること。それが、あたしらの掟サ」 「掟……」 「規律の町っつったろ? エルゥって、そのまんま”規律”って意味なんだ」 ルーリィがふっと上を向いたのに吊られ、エイルも空を仰ぐ。緑の中に空色の粒が星のように散っている。 爽やかな風が吹き抜ける。 ゆっくりと息を吐き出し、ルーリィはその場で小さくジャンプした。小枝がその足の下で弾ける。 「さ、行くぞ!」 「オッケー!」 ふたつの足音が下草を小さく鳴らし続ける。いつの間にかルーリィは鼻歌を完全にやめていた。 立ち止まり、彼女は腰に下げていたチャクラムを手に取った。薄い銀色の環を両手にひとつずつ構え、彼女は油断無く周囲を見回す。 「さてさてさて……狩場に来たよ」 「何が獲れるの?」 「しぃっ、声が高ぇよ。山鳥とか、鹿とか……たまにゃ猪も出るな」 「へぇ……ところで、鹿なんてどうやってキミが持って帰るの?」 ルーリィの細い肩を見ながらエイルは囁いた。少女は茂みから目を離さずに低く答える。 「簡単だよ。その場で捌いて、肉と毛皮に分けるんだ。で、袋に突っ込んでお持ち帰りって訳サ」 腰の後ろに差している短剣を肘で示し、ルーリィはすっと目を細めた。睫毛の下でやはりその瞳は強い光を放っている。 瞬間跳び上がり、彼女は両手のチャクラムを連続して低い位置に投げ放った。 銀の環が茂みに突っ込み、楕円の軌道を描いて戻ってくる。ぱしぱしとそれを受け止め、ルーリィは茂みに踏み込んだ。 「一勝!」 誇らしげに、しかし小声でそう言って彼女は右の手を挙げる。喉を裂かれた山鳥がその手にぶら下がっていた。 音を立てないように手を叩き、エイルが無言で親指を立てる。親指を立て返しながら、ルーリィが戻ってきた。 彼女は鳥をエイルの足元に放り投げ、すらりと短剣を引き抜いた。 手際よく羽を毟り、鳥を解体していく。エイルが呆然と眺めている間に、山鳥は羽の山と、肉と、骨とに分かれていた。 それらを別々の小袋に投げ入れ、更にひとつの袋にまとめてルーリィは手に付いた血を拭った。 感嘆の息をつき、エイルは彼女の手に触れる。冷たくて関節が少し出っ張った指だ。その先にまだ鳥の血が残っている。 「な、何だ? 血ぐらい自分で拭うかんな!?」 「い、いやぁ、そういう訳じゃ……ただ、ボク」 言いかけたエイルの手を突然ルーリィが振り払う。素早く立ち上がり、彼女は鋭い目で茂みの一点をじっと見つめている。 何事かと思ったが、エイルはすぐにその考えを打ち消した。茂みの先から唸り声が聞こえてくるのだ。 銀の軌跡が茂みを切り裂く。噛み付かれた犬にも似た悲鳴が上がり、チャクラムがルーリィの手に戻ってくる。 茂みの奥からゆっくりと狼の群れが姿を現す。 否、それは魔狼と言ったほうが正しいだろうか。狼たちは濃い紫の体毛を風になびかせ、真紅の瞳でこちらを睨んでいる。 エイルはひゅっと唇を鳴らすと、すぐにタムを取り出した。 「イアウァ オーグ エム エヴァ エル」 低く平坦なメロディ、囁くような歌い方。退魔の歌に、次々と狼たちが後ずさる。 一匹が尻尾を垂れ、茂みの向こうに消えた。それに続けとばかりに群れ全体が去っていった。 ただ一匹、その場に残る狼が居た。巨大な体躯、太い脚、そして鋭い牙と瞳の持ち主。恐らくは、リーダーだった者だろう。 魔狼は長い牙を剥き、じりじりと近づいてくる。 狼をじっと見つめ、ルーリィが獣のそれよりずっと短い犬歯を見せて低く言った。 「ハッ、上等だよ。おいでワンちゃん、遊んでやらぁ!」 「ちょ、ちょっとルーリィ!?」 エイルの声にも狼の喉の音にも動じず、彼女は不敵に笑いながらすっとチャクラムを構えた。 |