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地面を蹴って後ろに跳び、ルーリィはチャクラムを連続して投げ放つ。狼は最初のひとつを難なくかわしたが、続いて飛んできたもうひとつの銀の環に頬の端を切り付けられ、首を振るいながら唸り声を上げた。 チャクラムをひとつずつ両手で捕まえた少女を血走った目で見据え、狼は飛び掛かって来る。 宙に浮いた巨大な身体をエイルの呼び出した稲妻が絡め取り、縛り付ける! しかし狼は低く唸ると天に向かってひとつ吠え、身体を振るってその鎖をバラバラに引き裂いた。 「うっそぉ!?」 「ありゃぁ、相当強力な魔獣だなぁ……魔力がビンビン感じられるよ」 驚愕するエイルの横でルーリィが頬を掻く。彼女の横顔を見ると、こんな状況だと言うのにまだ笑っている。 「ルーリィ! ニヤニヤしてる場合じゃないだろ!?」 「悪いねぇ、獲物がでかいほど燃えるたちなんだ」 「いくらなんでもでかすぎるよ! 力が! 勝てると思う訳!?」 「何だい、男だろ? 行ける行ける、気持ちで負けたらおしまいってナ!」 エイルの肩をぽんと、と言うにはかなり強く叩き、ルーリィは魔狼をじっと見つめる。 魔狼もその場に悠然と立ち、値踏みするように彼女を見つめ返している。 空気が細く薄く張り詰めていくのが、痛いほど感じられた。 ルーリィが深く息を吸い込んでいく。と思った刹那、狼が牙を剥いて突っ込んできた。 「うわっ、と!」 「チッ、やりやがる!」 左右に散り、二人はその牙の一撃を回避する。狼はそのまま行き過ぎ、急ブレーキをかけて振り返る。 先ほどまでの流れでエイルのことを無害だと判断したのか、魔獣は赤い視線をルーリィに向ける。凶悪な光にも全く動じる様子を見せず、ルーリィは口元を歪めて笑みを見せる。 狼が再び地を蹴ると同時に、彼女は左手をかざして魔力を解放した。 「行っけえ……エアロ!」 魔法の風が狼に斬りかかり、血液の代わりに狼の体毛と同じ色の瘴気を飛び散らせた。 狼は痛みに唸り、口の端から透明な涎を流す。しかしその瞳から攻撃の意志は失われておらず、それどころか怒りに燃え滾って風使いの少女を睨みつけている。 濡れた牙をぬめりと光らせ、狼はルーリィの喉元にそれを突き立てんと飛び掛かる。 「おっと……危ねぇなぁ、もう!」 ルーリィは一瞬で近くの木に向かって斜めに跳び、さらにその幹を蹴って三角跳びで隣の木の枝に移った。 エイルを見下ろし、彼女は叫ぶ。 「おーい、生きてっか?」 「うん、ボクならさっきから完璧に無視されてるよ! 危ないやつから潰そうって魂胆なんでしょ」 「やーれやれ、頭が働くこって。群れは頭から潰せって言うもんなぁ……狼なら狼らしく、お友達と仲良く狩りに来いってんだよ!」 太い枝の上に立ったまま腰に手を当て、彼女は狼に怒鳴った。その下では狼がぐるぐると木の周囲を回り、いつ相手が下りて来るのかと様子を伺っている。 ルーリィはその額を目がけてチャクラムの一方を投げつけたが、それは狼の額を掠めて地面に刺さっただけだった。 唸り、彼女はその場で腕を組む。 「うぅん、こりゃ下りるに下りらんないねぇ……どうしよっか?」 「いやいや、ボクに聞かれても仕方ないんだけど……」 肩をすくめ、エイルはまだ回り続けている狼を見やった。完全にルーリィだけを敵としているらしく、こちらには見向きもしない。 先ほどのルーリィの魔法によって付けられた傷のせいか、前足の動きが少し悪い。 大樹の内部と同じ匂いの風が髪を撫でて去っていく。 エイルはその残り香を吸い込み、自分に頷いた。 「ルーリィ!」 「何だ? 必殺技でもあんのか?」 「ううん、そんなの無いよ。ボクが合図するから、飛び降りて!」 言いながら一瞬狼に視線を走らせ、その前足を見る。ルーリィはエイルの意図を理解したらしく、消していた強気な笑みを再び目元に浮かべながらチャクラムを腰に戻した。 「あいよ、了ー解! やってやろうじゃないか!」 言いながらポケットに手を突っ込み、彼女は細いロープを取り出した。両手に引っ掛け、輪を作って一度ぴんと張る。 「……いつでもいいぞ!」 「オッケー!」 上からの声に答え、エイルは視線を地上に戻した。狼はまだ木の周りを歩いている。 その足が下草を踏み潰し、濁った緑色の円を描いている。円は一定の大きさのまま色だけをどんどん濁していく。 濃い緑色の濁りがそこに近づいてくる。エイルはそれを瞬きすらせずに睨み、その時を待ち構えた。 狼の前足が”そこ”に掛かる。一度瞬いて目を見開き、エイルはその真上よりほんの一歩分だけずれた位置に立つルーリィに叫んだ。 「――今だよ!」 「よっしゃあ!」 その声を聞き、即座にルーリィが飛び降りる。彼女は魔狼の背中の真上に着地し、すかさず手にしたロープでその口を封じた。 背中のルーリィを振り落とそうと狼が跳ね回り、暴れ回るが、彼女は右手で狼の口に巻きつけたロープを、もう片方の手で狼の首周りをがっしりと捕まえてしがみついている。 ロープを握った手を狼の首に回し、彼女は空いた左手で短剣を引き抜いた。 瘴気が噴き出し、飛び散る。 ルーリィの短剣が魔獣の喉を貫いていた。 力を失い、霧消しかける魔物の背から下りてルーリィは長いため息をついた。 「うー……もう全く、死ぬかと思ったぜ」 「その割には楽しそうに見えたけど?」 地面に刺さっていたチャクラムを拾い上げて渡したエイルに、彼女は先ほどとは別の笑みを顔半分だけに浮かべて見せた。 「あぁ……ありゃあ、あたしの癖だナ。強い相手に燃えるのはまぁ、本当なんだけどよ……虚勢でも張らないと、吹っ飛びそうじゃないか?」 「ハッタリであんな強気な口利いてたの?」 「おうともよ。気付かなかったのか? 最初にあれ見た時なんか、もう脚ガッタガタだったもん」 「そんなぁ……」 肩を落とし、エイルは目の前の少女を見つめる。全くそんな素振りを見せないと思っていたが、見事に騙されていたのだ。 いや、彼女が騙したのは自分だけではないのかも知れない。 エイル、狼、そしてルーリィ自身までも、彼女は強い言葉で騙していたのかも知れない。 そんなことを考えていたのを見抜いたように、ルーリィはエイルにぐいと顔を近づける。 「あのなぁ……あたしだって、ボコられんのは嫌なの。でも、怖いとか負けるかもとか、いちいち口に出したらそれが本当になるような気になっちまうだろがよ」 「う、うんまぁ……そう……なのかな?」 「そうなの」 言い切り、彼女は狼が跡形なく消えたその場所からロープと短剣を取り上げた。 短剣を腰の後ろの鞘に収め、ロープを手早く海老結びに纏めるルーリィをエイルはただ見つめていた。 と、彼女の手の甲に赤黒い染みがついているのに気付く。指無しの手袋が三センチメートルほど切り裂かれ、その下から覗く肌に傷が走っている。 エイルが指摘するより早く、彼女はその手をひらひらと振る。 「あぁ、平気サ。こんなの茶飯事だからよ」 「さ、さはんじ?」 それが”日常茶飯事”のことだと気付くのにしばらくかかった。 どうもこの少女と話していると、自分の心の中を見透かされているような気分になる。 そんな思いを知ってか知らずか、ルーリィはエイルから視線を外して傷口を舐める。 何故か彼女から視線が剥がせなかった。じっとその手元を見つめてみたが、それで彼女の心が読める訳でもない。 ただルーリィは顔を上げ、不審げに口の端を下げた。 「……何じろじろ見てんだ? どんだけ見てても何も出ないぞ」 「あ、あぁ、ごめん」 「ったく、変な野郎だなァ……」 腕を組み、ルーリィはぶつくさと呟く。 君もよっぽど変わってるよ、と言いたかったが、エイルにはただ逆光に浮かぶルーリィの姿に目を細めることしか出来なかった。 ルーリィもふっと後ろを見、その光の色に初めて気付いたように息をつく。 「げっ、もう日が傾いてんのかよ……もちっと成果を挙げるつもりだったけど、仕方ないナ。おし、帰るぞ」 早足で歩き出したルーリィを慌てて追いかけながら、エイルは声をかける。 「あ、ねぇ!」 「ん? 何だ」 足を止めずにルーリィは振り返る。西日を反射して、青い瞳がきらきらと虹色に光った。 「ん……まだ、ボクもちゃんと名乗ってなかったなって思って」 「あぁ、そういう事か。じゃ、名乗ってみろよ」 虹色の目が面白そうに細くなる。 ふたつの虹をまっすぐに見据え、エイルは微笑んだ。 「……エイルっていうんだ。今はアレグロたちにくっついて旅してるけど、根無し草の吟遊詩人だよ」 「アレグロ?」 「そっか、皆名前も言ってなかったっけ。ほら、居ただろ? 赤毛の鎧」 「あぁ、あの兄ちゃんな! そっか、そんな名前なのか……」 頷き、ルーリィは楽しそうにその名を今一度繰り返した。 「アレグロ、か。陽気で、身軽で、時に調子が良すぎるくらい……には、見えなかったなぁ」 最後に付け加えられたひと言に思わず吹き出す。確かにあの常に眉を引き結んだ真面目な顔ではそうは思えないだろう。 出てきた涙を腕で拭い、エイルはようやく口を開く。 「あっ、はは……ところで、何でそんな言葉が出てくるのさ? どこがどうして陽気な訳?」 ルーリィが立ち止まる。身体ごと振り返り、彼女は腕を後ろに組んだ。 首を小さく傾げ、瞳をさらに赤みの増した陽光に輝かせて彼女は口の端を挙げた。 「そのまんまだよ。”アレグロ”の意味サ」 ルーリィの瞳が一瞬アレグロのそれと同じ色に染まる。 再び歩き出しながら、彼女は続けていく。 「兄ちゃんの親御さん、どんな思いで付けたんだろうな」 「思い、ねぇ。……じゃあ、キミの名前は? 一体どんな意味なの?」 「……あたしかい? あたしの名は……”群青の空”サ」 「……空……」 深い青色の瞳、濃い紺色の髪。そのどちらも確かに海というよりはむしろ空の色だ。 大きく頷き、エイルは彼女の瞳を見つめる。 「いい名前だね」 「正面切ってんな事言うなよ、照れるぜ」 そっぽを向きながら頭を掻き、ルーリィは横目でちらりとエイルを見る。 「本当に変な奴だなァ、お前……嫌いじゃないぜ、そういうの」 「……どういう意味?」 ルーリィの瞳をじっと覗きこむが、やはり彼女の言わんとすることは読み取れない。 一瞬きょとんと目を瞬かせたが、ルーリィはあっさりと答えてくれた。 「文字通りだよ。変人のダチは大歓迎ってね」 「ダチ……あぁ、友達ね……」 なぜかその言葉に少なからず落胆する。今まで年の近い少女と関わることが少なかったからだろうか? ルーリィは呆れたような目でこちらを見ている。 「あのなぁ、あたしが男と女のあれやこれに興味持つクチだと思うかい?」 「そんなこと言われてもぉ……」 爪先で地面を掻き、エイルは声を絞り出す。 あっけからんとルーリィは少年のそんな態度を笑い飛ばし、親指を立てる。 「いいじゃないか、別に! あたしらはもう、共に死地を潜り抜けた戦友だろ?」 「大げさだなぁ、もう。立派な詩人になれるよ」 「お褒め頂いてどーも」 適当な調子で言って、ルーリィは立ち止まる。いつの間にかあの大樹の前まで来ていたのだ。 愛しげに幹を撫でながら、彼女は呟いた。 「やれやれ、帰ってきたよ。我が兄上たちもさすがに地下から脱出してるかね」 「あ、兄上と言えばさ。ルーリィ、キミ、セシルさんのほかにも兄弟が居るんだろ? 聞いたよ」 「ん? あぁ。セシル兄貴の他にももうひとり居るぜ」 答えた彼女の瞳が黒衣の詩人と同じに光る。 その瞳の輝きを見据え、ある種の確信にも近い気分でエイルは問うた。気分のせいか、いつになく早口になる。 「そ……それって、お兄さん? それとも……」 「ん、兄だけど……」 「な、名前は? お兄さんの、名前は……」 ルーリィはそんなエイルを不思議そうな目で見ていたが、さらりと口を開いた。 「ん? あんちゃんか。あんちゃんはな、アーツってんだ」 「アーツ……」 呟き、エイルは深い溜息をつく。自分の思い違いに腹の底で小さく苦笑し、彼は言った。 「そっかぁ!」 ☆ ★ ☆ セシルの――そしてルーリィのでもある家の前にたどり着いた時には、もう日は沈み切っていた。 ルーリィは扉に一度耳を当ててにやりと笑い、手招きする。 「ラッキーだぜ、エイル。どうやら、ここがお前らの宿だ」 「え? どういうこと?」 何故、自分が彼女の家を宿にすることになっているのか。その考えをまた見抜いたように、彼女は扉にもたれて口を開いた。 「あのな、この町に宿屋ってないんよ。町人が門を通ろうとする人間を自分の家にしばらく泊めて、通して良いかどうかってのを判断する訳」 「へー……え!?」 エイルが頷いたその時、ルーリィのもたれていた扉がいきなり内側に開いた。声を上げ、ルーリィが後ろにひっくり返る。 その背中を受け止め、扉の向こうに居た青年が笑って言った。 「遅いぞ、ルーリィ! 日暮れには帰るはずだろう?」 「仕方ねーだろ、面倒なのが出てきたんだよ! って言うか放せよ!」 セシルと同じ、但し彼よりも纏まりの無いばさばさした髪を束ねた若者の逞しい腕の中でじたばたともがき、ルーリィは叫ぶ。 若者はからからと笑いながら彼女を解放し、その背中を叩く。 ルーリィはむっと振り返り、しかしすぐにその表情を打ち消して若者の腰に抱きついた。 「あんちゃん、ただいまっ!」 |