第4話〜呼魔の独唱



 この大陸は、山脈によって東西に断たれている。山が人の行き来を阻み、情報の行き来も阻んでいるのだ。魔物の多い昨今は尚更だ。
 そんな中、一行は東側の知る情報を求めて山に挑んでいた。

「あぁ〜、もうやだぁ〜……上り坂ばっかじゃーん!」

 額を拭い、エイルは愚痴った。真昼の太陽はさんさんと輝いているが、それすらも彼は恨んでいるように唇を嘴の形に尖らせた。

「山を登っているのだから当然だ。文句を言うならひとりで帰れ」
「そんなこと言うならホントに帰ってやる〜っ!」

 すたすたと先頭を登るアレグロに、半ば本気で叫ぶ。次の瞬間――

「ダメだよエイル〜っ、オイラを置いてかないでよぉっ!」

 本気を読み取られたのか、真後ろに居たアルティアに泣きつかれた。エイルはじとりと振り返り、

「…………じゃあ……一緒に行くぅ……?」

 その表情は、例えるなら薄暗い藪から生者を誘う幽霊。声は冷たくじめじめと揺れ、瞳は空色と言うよりもはや氷の色に染まっている。
 アルティアはびくんと後ずさり、涙声で呟いた。

「……い、いつものエイルじゃないよぅ…………」


 ☆ ★ ☆


 ふっと足元の影が薄くなり、消える。太陽が雲に覆われたのだ。見上げると、灰色の雲が寄り集まっている。
 クレハは空を見上げ、呟いた。

「……さっさと進みたいとこだな。雨の匂いがする」
「雨でも雪でもいいけどさー、もういい加減坂道は……」

 なおもエイルは文句たらたらと背筋を曲げていたが、急に口を閉じた。辺りを見回し、ひと言。

「……誰か、歌ってる」
「歌? こんな山でか?」

 アレグロの問いに頷き、彼は耳に意識を集中した。

「歌詞はよく聞こえない。けど……女の人……? 何だろ、何か呼んでるような感じ…………」

 呟き、彼はがばりと顔を上げた。瞳が大きく開いている。

「待ってよ、ちょっと……なんかやばい歌かもよ、コレ……」
「やばい?」

 一様に首を傾げる三人に、エイルは告げた。

「もう遅いよ。ホントにやばい歌だったみたい」

 一粒の雨が藪に落ちる。。
 彼らは、無数の殺気に囲まれていた。



 狼、猿、鳥……出てきた魔物の形状は実に様々だった。図鑑にまとめれば結構な厚さになるのは間違いない。
 剣を抜きながら、アレグロは詩人を振り返った。

「自分の身くらいは自分で護れ。俺は目の前だけで手一杯だからな」
「まーかせといて。一曲披露したげるって」

 実に能天気に答え、エイルはタムを取り出した。それまで明るいだけだった笑顔が、すっと引き締まっていく。
 その両手が、あのリズムを奏でだす。聞き覚えのあるそれは、先日エイルが叩いていたものだった。
 唇から静かに流れる退魔の歌は、雨音を伴奏にして波紋のように広がっていった。
 アレグロはその歌に安堵の息をつきかけ――固まった。

「……おい…………殺気が濃くなってるのは俺の気のせいか……?」
「いや、気のせいじゃないと思うぜ? 俺もそう思った」

 二人のその声を聞き、エイルはぱちぱちと瞬いて呟いた。

「あっれー? ……余計刺激しちゃったかなー、ひょっとして」

 人差し指で頬を掻きながら、彼はどうしよっかー、と言いたげに苦笑を見せた。
 アレグロは剣の柄を握り締め、唇をしばらく震わせ――この、と小さく前置きのように言った後で空に怒鳴った。

「この、大馬鹿がぁぁーっ!!!」

 怒鳴り声は、空しく雨の空に吸い込まれた。


「ふッ!」

 閃いた鈍色の刃が紅の直線を描く。真っ二つに斬られた蝙蝠の羽を持つ魔物がどさりとアレグロの足元に落ちた。間髪入れずに次の攻撃を放つ。斬っても斬っても迫ってくる魔物。額から流れた汗が目に入り、アレグロは忌々しげに瞬きした。
 瞬間、視界の端を疾風が駆けた。瞬きほどの間を置いて魔物の短い断末魔が響く。――クレハの射撃だ。
 ――頼むから、矢を切らすなよ……
 この大群を相手にできそうもないことをクレハに思いながら、アレグロはぬかるむ地面を踏みしめた。

「ファイットぉ!」

 叫び、エイルは小脇に抱えたタムを力強く叩いた。時折飛んでくる魔物の牙や爪を踊るようにかわしながら、彼は早口で一気に歌い上げた。

ニウ トスム エウ スギフ オグ、スギフ オグ!

 歌声は雨音を撥ね退けて響き渡り、冷たく湿った空気を揺らし、澄んだ力を吹き上げる!
 ちら、とこちらを見たアレグロに向かって、真剣な笑顔で怒鳴る。

「……応援歌っ!」
「助かる!」

 頭の中を清浄な風が吹き抜け、身体の奥底から眠っていた力が湧き上がって来る。その感覚に強気に笑いながら、アレグロは怒鳴り返した。
 ざん、と狼の姿をした魔物を斬り捨てる。剣は軽やかに滑り、あっさりと魔物の骨までもを両断した。
 ふと左に何かを感じて振り返る。魔物の鋭い爪が迫っている――かわせない!

 ――覚悟した痛みがやって来ることは、なかった。

「凍っちゃえっ!」

 アルティアの鋭いボーイソプラノが高らかに響く。その声に呼応して一気に空気の温度が下がり、雨粒がびしびしと音さえ立てて凍りつく!
 熊に似た魔物は身体を流れ落ちながら凍る雨に全身を絡め取られ、ついに氷の中にその命を閉ざされた。
 ふぅ、と息をつき、アレグロは次に迫ってきた魔物に向かって剣を突き出す。いともあっさりと、魔物は串刺しにされて霧消した。

「なぁ、アレグロ」
「何だか知らんが手短に頼む!」

 不意に声をかけられ、振り返りそうになる。すんでの所で魔物の長い爪を弾き、アレグロは答えた。

「こいつら……おかしくないか? ただの魔物の群れにしちゃまとまり過ぎてる」
「……!」

 クレハの指摘は正しかった。確かに、普通の魔物は同種の一群であろうとこんなに統制の取れた動きはしない。これだけ雑多な魔物が綺麗にまとまって動くなど、ありえない話だ。

「ホントだよねー。んもーっ、不気味! 誰かに操られてんじゃないのー、これ!?」
「操られて……?」

 エイルのその言葉に、一度聞いたある言葉が蘇った。
 ――呼んでるような感じ。
 はっとなり、アレグロは呟いた。

「歌、だ……」
「歌ー?」
「……歌……そっか、歌……!」

 その意味を理解したのだろう、アルティアが拳を握り締めて頷く。

「歌だよ、エイル! ほら、さっき聞いたって言ってた!」
「さっき、ねー…………あーっ!! あのよく分かんない歌!?」

 ぱんと手を打ち、エイルは叫んだ。雨が降り出す前に聞こえた、美しくも不気味さのある歌。その歌が、魔物を動かしていると言うのか――
 しかし、それが分かったところでどうだというのだろう。エイルの知っている歌では彼らを止められないのだ。
 倒しても倒しても湧くように迫ってくる魔物に、全員が疲れを隠せずにいた。


(彼女が動き出したというのか――)

 戦いの気配を感じて戻ってきた彼は、その異様な光景に小さく舌打ちした。
 間違いない。あんな芸当が出来るのは彼女しか居ない。ついにここまで――
 目を閉じて首を横に振り、彼は懐に右手を入れた。今は彼らを助けるのが先決だ。
 ローブの胸当ての下から出てきた白い指のそれぞれの間には、薄青く透き通った刃が挟まれていた。

 鮮血が散る。一瞬何が起こったのか分からなかったが、すぐにエイルは辺りを見回した。目の前の魔物は、心臓を突き刺されてすでに息絶えている。
 クレハかと思ったが、刺さっているのは彼の扱う矢ではない。ごく薄い、クリスタルを思わせる質感をした手のひらほどの刃だ。
 それを拾い上げ、まじまじと見つめる。見れば見るほどに不思議な色をして見えるそれの表面を、しきりに雨粒が流れ落ちていく。水の流れた筋は、淡い光を発するように青く輝いた。

「……なんだろ、これ…………」
「横だ!」

 鋭い声と共に、ひゅんと風を切る音が響いた。反射的に横を見ると、自分に襲い掛かろうとした巨大な甲虫の爪が斬り落とされる瞬間だった。その断面は鏡のように滑らかになっている。
 爪が落ちたのにも気づかない様子で飛び回る甲虫の身体が、次の瞬間真っ二つに割れた。どさりと落ちる死骸の上に、ぴんと音を立ててもう1枚刃が落ちた。

「詩人クン……キミがやったの?」

 投げナイフを油断なく構える黒衣の詩人の姿を雨の中に見つけ、エイルは呟くように問うた。
 彼は右手の薄刃を次々に投げ放ちながらこちらを振り向いた。闇色の中にひとつ明るい黄色の羽がふわりと揺れる。

「答えるまでも無いな。……このまま戦ってもきりが無いぞ」
「じゃあどうしろって言うのさ?」
「……歌え」

 はっきりと、青年はそう答えた。

「無理だよ! ボクの歌じゃ逆に刺激しちゃうだけだってぇ!」
「なら、僕の代わりにこいつらを引き付けられるか?」

 声は少し冷たかった。エイルは一瞬躊躇したが、その幼さの残る顔に気の強い表情を滲ませた。

「……やったげるよ!」

 青年に迫る魔物の方に向き直り、だんっとタムを叩く。一斉に振り返った魔物に向かって、彼は叫んだ。

「こっちだよーっ! 鬼さんこちら、あっかんべーっ!」

 そして、実際彼はその舌を突き出せるだけ突き出した。どこどことやかましくタムを叩きながら走り回る。
 青年はその様子に呆れたような表情を見せたが、すぐに背負ったリュートの覆いを払った。ぴんぴんと様子を見るように二、三度弦を弾き、すっと呼吸を整える。

 転がるように絡まるように、複雑な旋律が雨に溶ける。
 青年の口から流れた詩もまた、舌もじりのような複雑な音をしていた。

スラミナ プウェカゥ ダォル ロウィ オト ンルテア、エレーフ トンスィ エカルフ ルオィ――


 背後の殺気が急に消えた。振り返ると、あれだけ居たはずの魔物が一匹も居なくなっている。辺りには、ただ薄紫の霧が残っているのみ。

「な……何をやったの、キミ……?」

 驚き顔のエイルに、青年はローブを払いながらあっさりと答えた。

「彼らを自然に還した」
「し……自然?」
「あぁ」

 説明されても理解できそうにないと感じ、エイルはそれ以上聞かなかった。代わりに大きく手を振り、呆然と立って辺りを見回している仲間に呼びかける。

「おーい、もういいって。これでおしまーいっ!」

 雲が割れ、光が覗き始めていた。


 ☆ ★ ☆


「さっきのあれは……あいつら、紫の霧に包まれたと思ったら…………」

 呟いたアレグロの二の腕を軽く叩き、エイルは笑った。

「ボクもよく分かんない。でも、詩人クンがどうにかしてくれたんだよ」
「詩人クン?」
「ほらほら、この……そうだっ、また会ったじゃん! ねえ、名前は!?」

 立ち去ろうとしている詩人の袖をひっ捕まえ、エイルは忘れかけていたことを口にした。
 彼はぐいぐいと引っ張るエイルの手を押さえると、嘆息した後にぼそりと名乗った。

「…………ファレンツァ」

 その言葉にぱっと顔を輝かせ、エイルはファレンツァの袖を放した。

「分かったよ! ……ねぇ、レン。結局さっきのは……」
「レン?」
「だってレンの名前長いんだもん。そのまんまファレンツァじゃ呼びにくいじゃん?」

 片目を細めて首を傾げたアルティアに向かって答え、彼はファレンツァに向き直った。

「さっきのは何なの? ……ねぇ、キミの歌ってさ…………」

 言いかけたエイルを視線だけで止め、ファレンツァはくるりと四人に背中を向けた。
 一歩踏み出し、思い出したように振り返る。

「終焉には気をつけることだ。彼女は絶望のみに生きている」

 そう告げると、今度こそ彼は去って行った。



「終焉、絶望……? ……随分と意味ありげだな」

 ファレンツァの去った方角を見つめ、アレグロは呟いた。

「……おい、アホ歌歌い。行くぞ」

 ぼんやりとまだ何か言いたそうに口を開きかけたままのエイルの肩をぽんと叩く。
 エイルははっとなり、次に唇を尖らせるお決まりの表情を見せた。

「だーかーらーっ、吟遊詩人!」
「……吟遊詩人ってさ、さっきのレンみたいな人のことじゃないのか?」
「オイラに聞かないでよぉ……」

 詩人だただのアホ歌歌いだと騒がしいふたりを眺め、クレハはアルティアに問いかけた。

 濁った空は、もうすっかり晴れている。


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