第6話〜森閑の小唄



 上弦の月が天の道を行く。遠く光る星の間を抜け、ひんやりと清かな薄明かりを投げかけながら、月はその長い夜の道を歩み続けている。
 その月明かりが、扉の閉まる音と共に視界から無くなる。山奥の集落の小さな宿屋に一行が到着する頃には、月は山の端から離れきっていた。

「……トウシャさん…………あんた、いい足腰してるよ」

 太股を軽く叩きながら、クレハはそう言った。
 その後ろでは、もう歩けないからね、と全身で主張する吟遊詩人。
 考えてみれば、この山に暮らす彼女の足が強いのは当然のことだ。
 草の生い茂り始めた細道、泥でやたらと滑りやすい急な坂を抜けてきたとはとても思えない元気な顔で、トウシャは4人に笑いかけた。

「お疲れ様でした。皆様ご宿泊ですよね? それでは、私から簡単にここのことを説明させていただきます」


 説明自体は短く簡潔で、疲れた顔のエイルが文句を言うことも無かった。だが、宿の中を一巡りし終えると言うところでアルティアが”それ”に気づいた。
 彼はそこに目を留め、恐る恐るといった調子で口を開いた。

「あ、あの……これ、何ですか?」

 アルティアが指したのは、地下へと続く狭い階段。それはかなり長く、明かりがついていないために暗闇の底へ続いているように見える。
 トウシャはああ、と頷くと、左手でその階段を示した。

「この先には、大きな舞台があるんですよ」
「舞台? こんな山奥に、どうしてさ?」
「そうですね、エイルさん。むしろこんな山奥だからと言うべきでしょうか。ほら、この村には大した娯楽はないでしょう? だから旅芸人の方々は村人総出で歓迎して、素晴らしい芸をここで見せていただいているんですよ」
「へぇ〜っ……ねぇエイル。エイルも歌っていったら?」

 碧眼をきらきらと輝かせ、アルティアがエイルの手を握る。エイルはんん〜、と考えるようなそぶりを見せ――

「やだ」
「えっ……どうして?」
「だ〜って、さ! せっかく来たんだから、他の人の芸見てきたいじゃ〜ん!」

 何か言いかけたアレグロの口を目一杯背伸びして塞ぎ、エイルは笑顔で答えた。
 そのあどけない顔をトウシャの方に向け、彼はこう問うた。

「ねぇ、今度はいつやるの?」
「次……は、明日の夕方からですね。あ、そうそう。しばらくここに滞在していらっしゃる方が舞って下さるんですけどね。もう、見とれるなんてものじゃないくらい綺麗なんですよ? 私も習おうかと思ってしまうくらいで……」

 まぁ、仕事で時間が取れなくて今は諦めているのですけど、と彼女は苦笑してみせた。
 何も言わず、四人はただ苦笑を返した。


 ☆ ★ ☆


 夜に支配された地上。そこはもはや眠りの国。
 人も獣も植物も、皆この闇に抱かれて安らぎの中に沈んでいる。
 誰も通ることのない道をも護るように、月は草木に覆われた山に微笑みかける。

 否。ひとり、その微笑を受ける者が居た。

 木々の陰に、微動だにしない黒い影。深い瑠璃色の瞳が月光に滲む。
 淡い黄金を通り越して白にさえ見える月を、彼はじっと見上げていた。声を出すことも無く、ただじっと。
 夜風にさやさやと葉が鳴る。その音に耳を傾けながら、彼は月に向かって呟いた。

ドルォウ エフト レヴォッラ ノグニ ニース ウォイ エラ……

 歌ではない。ただ、彼の心から発せられた問いかけ。


 お前は 世界中を照らしているのか?


 月は、ただ微笑んだまま黙っていた。


 ☆ ★ ☆


 朝露で山が緑に濡れる。清浄な香りを放つ風が、ウォルギフの村に新しい日の始まりを告げた。
 小鳥が囀る。青葉から露が滴る。全てが清々しい朝に包まれる中、宿の一室では――

「……あー、おはよ」

 アレグロに揺すぶり起こされ、エイルはぐったりと答えた。

「お前……えらく低いテンションだな、おい」
「テンション下がりもするよー……だって、さぁ!? 気持ちよく寝てるところを叩き起こされたんだよ!?」
「いつもの事だろうが」
「いつもじゃないさ! 足とか足とかもう痛くて夢の中に逃げ込んでたいのにっ!」

 ぶーたれながらまた布団に潜り込もうとするエイルを引きずり出そうとするが、予想以上に手ごわい。
 何とか彼とベッドを引き離した頃には、朝の風も幾分乾いてしまっていた。
 朝から汗で湿っぽい頭に心地よいその風にしばらく身を任せながら、アレグロはぼんやりと西の空を眺めていた。
 どのくらい風に当たっていただろうか、ふと彼が振り返ると……

「…………何やってる?」
「見りゃ分かるだろ、こうでもしないとエイルを押さえてられないんだって。こいつ、墓に戻ろうとするゾンビみたいに布団に潜ろうとするもんだからさ」
「いや何だその例え……いやそれより、他にやりようはなかったのか?」

 そこに居たのは、泥に汚れたマントでがんじがらめになっているエイルとクレハだった。


 ☆ ★ ☆


「あーいーやあいや癒し系〜、それそれそれそれ肥やし系〜」

 耳元でいきなり囁かれ、アレグロは口に含んだコーヒーを吹き出しそうになった。朝からアホ歌はやめろ!
 むせかえりそうになりながらそれを無理矢理飲み込み、彼は何食わぬ顔で焼きたてのパンに手を伸ばしている隣の少年を睨みつけた。
 その視線に気づき、エイルがこちらを向く。頬を膨らませ、唇を尖らせたその顔からして――

「お前……まさか朝のこと根に持ってるのか?」
「あったり前〜。我が眠りを妨げるものには恐ろしい呪いが降りかかろう、なーんちゃって」
「アホ」

 ざくっ、と生野菜のサラダにフォークを突き刺しながら言い放つ。エイルは無言で子供っぽく顔を背けると、またパンにバターを塗りつけ始めた。
 バターパンに齧りつくエイル、ひたすらサラダをざくざく言わせているアレグロ、いつもにも増して眠そうな――はっきり言って半分寝ているようなクレハ、なんとなくピリピリした空気のせいか居辛そうなアルティア。しばらく無言の時間が続いた。
 沈黙を破ったのは、意外にもアルティアだった。
 椅子の奥の方に引っ込みながら、彼はおずおずと口を開いた。

「ね、ねぇ。今日の夕方なんだよね? 舞台って」
「ん〜……そだっけ?」

 興味なさげに答えたエイルだが、視線はアルティアにしっかりと向いている。
 アルティアは小さく頷き、

「そうだったはずだよ。……え、えーと」

 しかし彼はそれ以上話を続けられず、また居辛そうに縮こまる。空気は少し和らいでいたが、それでも進んで近づきたいと思うには程遠い沈黙に支配されている。
 食堂の窓からは、森の匂いのする風が吹き込み続けていた。


 ☆ ★ ☆


 好きだね、ここは。何でって聞かれても困るんだけどさ。何にしても自然なのはいいことだよ。
 人も動物も植物もさ。僕も自然でいられるんだよね、ちょっとさ。
 そうだね、もう少しここに居ようかな。ここの人はみんないい人だし。自然で、素直で……あぁ、どっちも似たようなもんだったね。あははっ。
 そう言えば、朝食堂でがやがややってたあの一行……やっぱりあの使命を負ってるってことかな。それにしては、らしくないのが混ざってるけど……
 いや、見かけじゃ分かんないってのは常識。誰がどんな人かなんて、一発じゃ分かんないもんだよ。
 そう……分かんない。

 人ってのは、分かんないもんなんだからさ。


 ふっと息をつき、少年は髪を撫でる風に向かって愛しそうに手を差し伸べた。

 ☆ ★ ☆


 時は既に昼下がり。森は強く輝く日光を受け止め、光を優しい木漏れ日に変えて村の上に零している。
 木と土で成り立っている村はいっぱいの光を吸い込んみ、温かく柔らかな空気を漂わせた。
 淡い青葉色の空気はそこかしこから建物に忍び込み、けだるい午後を包んでいく。
 その空気に抱かれ、どうも暇を持て余しているらしいエイルらは――

「……トンベリとかクアールとかガーゴイルとか」

 床に座り込み、人差し指でタムの上を軽く叩きながらぶつぶつと呟いているエイルに声をかける者はなかった。
 遠巻きにちらちらと彼を眺めながら、時には窓の外に目をやり、時には各々の荷物から何か出したり入れたり。
 エイルの低く抑えたような声だけを乗せて、時はゆるゆると流れていた。

「…………クアールケアールリアール」

 ふと思いついたようにエイルは小さく歌ったが、表情にいつもの光が見えない。
 彼はあーあ、と嘆息して後ろにひっくり返り――そのまま後ろのベッドにしこたま頭を打ちつけた。
 ――時が一瞬止まる。

「…………いったいなぁっ、もーっ!! ああぁ痛い痛い痛いんだってばぁ!」

 びくんと起き上がり、後頭部に両手を当ててのた打ち回りながらエイルは喚いた。先ほどのごつんという音からして、相当痛いであろうことは簡単に想像できる。

「いてーっ! 痛いんだって! 歌も全然出来ないし、もうやだ、最悪ーっ!」
「元気そうじゃないか、アホ歌歌い」

 アレグロがあっさりとそう言うと、エイルはがばっと起きて怒鳴った。

「元気じゃないっ! 見てよこのタンコブ! もー、ボクがバカになっちゃったら誰の責任な訳!?」
「後ろのことを考えずにひっくり返ったお前の責任だろうが」
「……鬼。人でなし。ホントにナイト?」
「残念ながら正真正銘人間で騎士だ」

 言い放ち、アレグロはまた窓の外に目をやった。
 時は未だ昼下がり、まだまだ舞台は開かない。


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