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「……あ」 「どうしかしましたかい?」 「…………あのひとです。……わたしの、言ったのは」 青みを帯びてさえ見える白い指が、ひとりの若者をすっと指した。 ☆ ★ ☆ ざわざわと寄せてばかりの音の波。地下の小さな舞台の客席は、村人と旅人で一杯になっていた。 舞台のすぐ手前の席に陣取り、エイルは咥えた細長い焼き菓子をぽきんと折った。 「へーえ、ホントにいっぱい来るもんだねぇ。村人ほとんどみんな来てるとかー?」 見回しながら彼は言い――んっ、と視線を一点に集中させた。 瞬きの後にエイルは左隣に座るアルティアの袖をくいくいと引っ張り、その視線の先に居る人物を指さしてみせた。 アルティアはそちらに顔を向け――エイルに囁く。 「……レン?」 「……だよねぇ?」 舞台の袖に隠れるように腕を組んで立っている彼は夜の衣に身を包み、蒼黒の髪を腰まで垂らしている。どこか張り詰めた空気を醸し出す、厳しい目の色は深い瑠璃色。 リュートの形の膨らみを持つ布の袋を背に、彼は無言で佇んでいた。 「……どうしてここに居るんだろ。とっくに行っちゃったと思ってたのにさ」 「まぁ、吟遊詩人は人前で歌ってなんぼって仕事だろ? 日銭稼ぎかなんかだろ」 「…………そうかなぁ。レンってそんな感じにはとても見えないけど」 あっさりとしたクレハの答えに、エイルは顔を顰めた。 「なーんか、今だけじゃないけどもっと訳ありって顔してない? レンってさぁ」 「そうかぁ?」 「ん。言っとくけどね、カンいいんだよ? ボクって」 ほう、と疑わしげに呟いたすぐ右の騎士――さすがに鎧は着ていない――をちらりと見、エイルはもう一本の焼き菓子を膝の上の篭からつまみ上げた。 ぽきんと軽い音が弾けるのと同時、舞台は夜に覆われた。 ぱん、と舞台の一点に光。その光の柱の中に、ひとりの少年が膝をついている。 伏せた顔にさらりとかかる髪は深く蒼く流れる微風。光を発しているのかとまごう程に滑らかな白い肌は、余すところ無く青くうねる波に覆われている。 両の手首に光る腕輪が細い手首に影を落とし、それぞれの輝きを強調している。 「――デートラース シン エート」 囁くような声と同時に、彼は跳ねるように立ち上がった。長い腰布がひらりと舞い上がり、次の瞬間ふわりと落ちた。 たん、とその白いつま先が木の舞台を叩く。それは瞬く間にテンポを上げ、激しく複雑なリズムを奏でだす。そのリズムに歌を絡めながら、少年は硬さなどまるで無い心から楽しそうな笑顔で片腕を振り上げ、観客へ向けて掌を振り下ろした。腕輪がじゃらりと音を立てて煌く。 わぁ、と湧く歓声。ざんざんと拍手の音がこだまする中、彼は色気さえ感じさせる笑顔を浮かべて荒波のように舞っていた。寄せる音の波と躍動する舞の波。ふたつの波がこの舞台に満ち満ちていた。 「――ラーテガット イヤープ ステル、レーヴェロフ セウニトノック スギン シート!」 古い言葉で歌われる彼の心からの言葉が舞の波紋を大きく広げる。例えその言葉が理解できなくとも、村人たちと旅人と舞い手はこの大きな波を共有していた。それだけで彼らには充分だった。 ほんの一瞬、少年の笑顔に固さが見えた。 次の瞬間、ばちんと音が弾ける! ごくごく威力の低い雷電の魔法だったが、観衆をパニックに陥らせるには充分だった。 きゃあきゃあと悲鳴がそこここから上がる。一刻も早く逃げ出そうとする村人たちの中から、旅装の一団がゆっくりと現れた。 「悪いな、仕事なんだ」 ひとりの体格のいい男が言うと同時、彼らは一斉に身に付けたマントを脱ぎ捨てた。 ――その下から現れたのは、鎧。騎士たちのもののように広い範囲を覆ってはいないが、最低限の防御のみで動き回る戦士には充分なものだ。 各々武器に手をかけ、じりじりと近付いていくその先には―― 「レンっ!」 虚空を見つめる彼に向かってエイルが叫ぶ。その声にファレンツァはちら、とそちらを見、ひゅっと手を撓らせた。と同時、飛んで来た矢がばしんと床に落ちる。 「ちっ、戦い慣れてるってのは本当だった訳だ!」 吐き捨て、隊長らしいその男は剣を抜き放った。ぎらりと凶悪に光る鋼が向けられたのは――ファレンツァではない! 「わ、わっ!?」 慌ててその一撃をかわそうとするエイルの前に、朱色の影が飛び込んできた。ぎぃん、と金属同士がぶつかり合う音。アレグロがその左腕で剣を受け止めていた。 「あ、アレグロっ!? 盾も剣もないからって、腕なんか使ったら……!」 エイルの方を振り返りもせず、彼はゆっくりと刃を受け止めている腕を抜いた。ばっさりと斬られ、はらりと垂れ下がる袖の下から現れたのは傷ついた生身の腕ではなく、無骨な鉄の腕輪。手首のすぐ上から肘近くまでを覆う飾り気の無い鉄の輪が、彼を守っていた。 「……来いよ。伊達に騎士はやってない」 真剣な表情で呟き、アレグロは拳を固めた。 「あいつと一緒に……死にてぇらしいなっ!」 シャムシールを片手に跳び込む男の視界から一瞬にして標的が消える。次の瞬間、彼の背に長い長い傷が走っていた。 反撃に回ろうとして振り向いた瞬間、鳩尾にどすんと鉄拳がめり込んだ。 崩れ落ちる彼を見下ろし、クレハはふぅ、と息をついた。 「案外ちょろかったなぁ……まぁ、足がなまってなくて良かった良かった」 人ひとりあっさり飛び越えたそのすらりとした脚をぱんと叩き、彼は折り畳みナイフの血を払った。 背後に気配を感じるが、敵ではなさそうだ。それでもいつでも攻撃に移れる体勢を保ちながら振り返る。 「! ……あんた、まだ居たのか。ここはやばいと思うけど?」 「ううん、僕なら大丈夫。お客様の振りして舞台を邪魔する奴って、許せないからね」 さらりと後ろ髪を払い、踊り子の少年はその場で細身の脚を後ろに一閃させた。 「ふっ!」 どん、と爆発するような音。少年の後ろ回し蹴りをまともに受けた男が吹き飛び、アルティアが放ったのであろう一条の雷に貫かれるのがクレハにははっきりと見えた。 小さく頷き、彼は呟いた。 「なるほど、随分気の巡りがいいんだな」 「よく分かったね。そうだよ、ちょっと一発入れた訳」 「助太刀してくれるのか?」 「勿論。お客様はいつも正しい、ってのが商売全部の基本だろ? 即ち、明らかに正しくない奴はお客様なんかじゃない」 「そういうもんなのか? ……まあいいや。あんた、なんて呼んだらいい?」 「人に名前を聞くんなら、自分から名乗りなよ」 邪魔な装飾品を床に放り出してから腕を組み、少年は首を傾げてみせた。 「悪い。クレハだ」 「オッケー。リエルって呼んでよ」 「了解」 視線を交わし、二人は背中合わせに戦闘の構えを取った。 そしてもうひとり、この場を離れていない人物が居た。 「居る奴皆やっちまえって言われてんだ、悪いな!」 ナイフを両手に迫る小柄な男に向け、トウシャはその手に持っていた木製の盆を躊躇無く投げつけた。細い手首が撓り、盆に強烈な回転をかける! それは正確に男の額にぶち当たり、一撃で昏倒させる。 「本気で悪いと思うならこんなことしないで欲しいですよ! 村でいちばん皆が幸せな時間だったんですよ!?」 怒りに染まった声で彼女は叫んだ。純粋に彼らが許せないのだ。 「騎士様、ここは私が!」 言うが早いが間合いに飛び込み、アレグロと一進一退の攻防を繰り広げていた戦士の側頭に拳を叩きつける。よろめき倒れかかる彼に向け、もう一撃。そして――とどめとばかりにその顎を蹴り上げる! 完全に伸びている戦士を虎の瞳で見下ろす彼女の肩に、アレグロは恐る恐る手をかけた。 「おい……?」 「はい?」 振り返ったトウシャの目は、獣のそれではなかった。 「……いや、何でもない。行くぞ」 「ええ!」 「――ゴンズ イム オト ネッスィル ドナ ヤッツ――」 低く響くリュートの音色に、抑えたように低く重なる青年の声。その響きに、もうひとつの澄んだ高音が突然合わさる。 「――オス、ウォイ エヴァー オト ネッスィル――」 いつの間にか隣で壁にもたれていたエイルをちらりと見、ファレンツァは笑みともとれる色をを目に浮かべた。 そのまま音程を更に下げ、エイルの歌の下にその声を潜らせていく。 すぐにふたりの声は重なり、ひとつの重々しい旋律となった。 「――ポッツ、ヨブ!」 「――エゼールフ」 時が凍る。 歌が同じタイミングで止まると同時、今やたったふたりしか残っていない傭兵たちの動きが唐突に固まった。 そしてひとりはリエルに蹴り飛ばされ、もうひとりはアレグロとトウシャの挟み撃ちを受けて――残る敵の数はゼロになった。 ☆ ★ ☆ 「……どういう事だ」 倒れているリーダー風の男の胸倉を掴み上げ、アレグロは吐息のかかる距離にまで厳しい瞳を近づけて問うた。 男はへっ、と顔を背けたが、その鼻先をかすめて壁に突き立った透明な刃にびくんと動く。 同じ刃を指の間にちらりと見せ、遠間からファレンツァは口を開いた。 「……白い髪の女に雇われた。違うか?」 「あ……ああ! そうだよ、いつの間にかどっかに行っちまったが、やたら色素のないお嬢さんに頼まれた! 好き好んで殺しを引き受けた訳じゃない、あのお嬢さんがどうしてもって、よ! 報酬に出した金だって半端じゃなかったし、よ……」 ゆっくりと近づいてくる青年の氷の目にひくひくと震えながら男は一気に喋った。 同じく氷のような刃を一度煌かせ――ファレンツァはそれを懐に収めた。 「……去れ」 「…………へ?」 「聞こえないか。早くここから立ち去るんだ」 あくまで冷たく男を見下ろしたまま彼は言い、アレグロの肩に触れた。 アレグロは頷き、ぱっと男の襟首を離す。と同時に、男は弾かれたように立ち上がり――仲間と共に走り去った。 「いいのか?」 「何が」 クレハの問いに、ファレンツァは呟くように言って振り返る。 「あいつらだよ。あんたマジな目してるもんだから、てっきり殺っちまうもんだと」 「無駄な絶望は必要ない」 「へー、見かけによらず殺生が嫌いなんだ?」 「勘違いするな」 エイルに向けられた瑠璃の瞳は、相変わらずナイフのように鋭い。 彼らにくるりと背を向け、ぼろけかけたマントを翻しながらファレンツァは低く告げた。 「くれぐれも、無駄に絶望はするな。さりとて、希望をあらわにし過ぎてもいけない。死の影に付き纏われたくなければ……な」 「死の影? ……ねえ、待ってよ、行かないでってば! レン! レンってば!!」 エイルはぶんぶんと手を振ったが、ファレンツァが振り返ることはなかった。 そこに残ったのは、夜と壊れた舞台だけ。 |