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「どこへ行くのです?」 冷たい声が背中を突き刺した。恐る恐る振り返ると、雇い主が微笑みながら立っている。 穏やかな口調だが、その温度は絶対零度。 「お、お嬢……あんたこそ一体どこに行ってて……」 「答えてください。どこへ行くのです?」 「つ、次の仕事が入りましてですね……」 「わたしのお仕事を失敗して、次のお仕事が出来るでしょうか?」 一瞬にして最大にまで膨れ上がる絶望。その瞬間、傭兵団の首は胴体と刹那の別れを迎えることになった。 「邪魔立てはさせません…………」 その若者の名を呟き、彼女は明け方に似合わぬぞっとするような笑みをひとり浮かべた。 ☆ ★ ☆ 朝日は全てを照らし出す。美しいものも醜いものも、見たいものも目を逸らしたいものも。 地下に造られた舞台は開け放たれた階段への扉から差し込む光に晒され、無残な姿をさらけ出している。 その床板は割れて剥がれ、客席はあるものは粉々に砕け、あるものは灰と化し、中央の舞台には深々と一振りの剣が突き刺さったままになっている。 悲惨な光景の中、ひとり黙々と瓦礫を片付ける人影があった。白い手が埃にまみれるのにも構わず、転がっている舞台の一部だったものを拾い集める彼女の黄金の瞳は、まるで何も見ていないかのようだった。 誰かが呼ぶ声が聞こえるような気がする。しかしそれを気のせいにし、トウシャは瓦礫を拾い続けた。 冷製スープとサラダとトースト、塩にバターにチーズ、グラスに並々と注がれた果実を絞っただけのジュース。昨日の地下での騒ぎなど露知らずといった調子で、朝食はテーブルに行儀良く並んでいた。 「おはよう。ここ、いいかな?」 横を見ると、昨日の踊り子が朗らかな笑顔を湛えて自分の食事が載った盆を持っていた。水色に濃い青で縁取られた動きやすそうな長袖と深い蒼色の長ズボンが刺青を完全に隠している。 もちろん、とエイルが頷くと、彼は短く礼を述べてひとつ空いていた椅子に腰を下ろした。 「大変だったね、昨日は。何であんなことしてくれるんだか」 そう言ってジュースを一口あおるリエルの横顔には、微かな呆れの他にも別な感情が混じって見える。 同感、と頷き、四人はそれぞれ手をつけかけた朝食にまた取り掛かる。 しばらくは皆黙って食事を続けていた。昨晩のことをこれ以上話す気になどならなかったし、他に話すことなど思いつかなかったからだ。 「……あのさ。君たちって、あれだよね? クリスタルの任務持ち」 「少なくとも俺とクレハはな」 自分の皿からゆで卵をくすねようと横合いから伸びてきたエイルの手をすぱんとはたきながらアレグロは答えた。 「ふーん? でも、随分身軽そうな団体さんだな、って始め見たときから思ったんだけどね」 「……国を発った時には、身軽な団体さんじゃなかったんだがな」 「……ごめん。なんか言っちゃ駄目なこと言っちゃったみたいだね」 アレグロが額にやった手の下を読み、リエルは顔から微笑を消した。構わないと低く呟くように答え、アレグロは顔を上げる。 「しかし、朝からこんな話も嫌なもんだが……あいつらの雇い主は、一体何がしたかったんだか」 「始めに狙ってたのは明らかにレンだろ。けど、居る奴皆殺ろうとしてたってのは……単なる趣味なら、もっと派手に全部ぶっ壊してくだろうからな」 音もなくスープを飲みながらクレハが答えた。趣味発言には敢えて突っ込まず、アレグロは頷く。 「あくまで目的は人間の始末、って訳かそれとも……分かんねぇな」 「どっちにせよ、レンは知ってる」 トーストを飲み下し、エイルがはっきりとそう言った。空色の瞳がいつになく真剣だ。 「絶対知ってるよ。教えてくれないけど」 「教えたくない理由でもあるんだろうね。にしても……あの、レン? どうも普通じゃないよね」 「……やっぱそう思う?」 「ああ。なんか、風がさ。違うんだよね」 前を向いたまま、リエルはそう指摘した。風、とアルティアが呟く。それは言い得て妙な表現だった。黒衣の詩人の周囲には、常に詩人らしからぬ北風のような張り詰めた空気が漂っていた。 「ホントは詩人なんかじゃなくて、どっかの戦士なんじゃないのー? めっちゃくちゃ強いし」 「さぁな……それよりも今は俺たちのすべき事を最優先する時だ。さっさと食って荷物整理だ――昼前には発つぞ」 「えーっ! ちょっとぉ、それ早すぎない!? ねえねえねえ!」 エイルの抗議を軽く無視して、アレグロはひと口残ったジュースを飲み干した。 ☆ ★ ☆ 「そう言えばさ、君たちどこへ行くつもり?」 部屋へ戻ろうとしたとき、不意にリエルがそう問うた。 特に隠す理由もあるまいと判断し、アレグロはあっさりと答える。 「ひとまずはアディータだな」 「へぇ……日出ずる国、かぁ。じゃあ方向は同じだね。また会ったりしてね?」 「って言うか、一緒に行けばいいじゃん?」 気軽にそう言ったのは、無論エイルだ。 アディータ。大陸のほぼ東端に位置する温暖な太陽の国。そこは海辺の町が漁業と商業を生業とするものによって成長し、中堅国家となって今に至る。 道中特に大きな危険も少ないとは思われるが、決してひとり旅をしたい時世ではないこの頃だけに、彼の発言はまともに響いた。 「ああ、それはそうだね。でも、一緒に行くならそれなりのルールってやつがいるんじゃない?」 「ルール、ですか?」 「そう。僕の場合は、余計な詮索禁止」 「なるほどな。なら、こっちからはアホ歌禁止ってことでどうだ?」 「誰がアホ歌なんか歌ってるってー?」 「冗談だ」 お前がだ、とはっきり目で言い、アレグロは本来の”ルール”を告げた。 「寝返らない、死なない。ふたつっきりだ」 「ルール提示ってことは、一緒に行こうって訳だね? オーケー、宜しく」 差し出された右手を右手で受け、アレグロは頷いた。 「ああ」 「ホント、改めてよろしくだねー。……ね、リエル。まさかメセトリアの人と一緒できるなんて思わなかったなぁ!」 「!」 笑いながら言ったエイルのその言葉に、リエルは一瞬驚き顔で固まった。が、すぐに笑顔と平静を取り戻す。 「ん、宜しく。……どうして、僕がメセトリアの人間だと思うのさ?」 その問いに答えたのは、言葉ではなく歌だった。 「――紅き内の波蒼き外の波 その波に揺らめく心火よとこしえに かの族舞うは賢武の海原 雷の如くその気疾らせ その紫電一閃千里を巡り――」 小声でそう歌ったエイルに、リエルはぱちぱちと音を抑えた拍手を送った。 「へぇ、サーガってことは詩人なんだ? なるほど、蒼き外の波ね。もし単なる真似事でこういう紋様入れてるって言ったらどうする?」 「キミがそう言うならそう思っとくけどー?」 「ありがと」 笑ってちょっと頭を下げてみせ、リエルは明るく言った。 「さ、荷物まとめないと駄目だったね!」 ☆ ★ ☆ 「……っ」 走った痛みにファレンツァは片目を細めた。一瞬きりのことだったが、それがどういうことを示しているのかはよく分かっている。 時間がなくなっていく。 息をついて見上げると、空にはまだうっすらと月が見えた。 「エトゥニム ア ティアゥ――」 呟き、ふっと自嘲するように笑ってしまう。 まさか、自分がこんな言葉を口にするとはな……。 「エノ オン ロフ スティアウ エミト」 時は何人をも待たない。 月と自分とに同時に言うと、ファレンツァは歩き出した。 東へ。 ☆ ★ ☆ 待ち合わせ場所の村の門には、すでに先客が居た。ダークレッドの厚手の短いマントの下にプリーツの入った長いスカートを穿いている。シルバーグレーの長い髪を首筋で束ねているが、遠目には性別が判別できない。何より鮮烈な印象を与えるのは、手を覆い隠してもまだたっぷりと余っているその服の袖だ。その暗赤色と質感からいって、おそらくマントの一部なのだろう。 先客は足元に大きな荷物を置き、ぼんやりと前の方に視線を泳がせていたが、エイルたちが近づくと遠慮がちに彼らに目を移した。 「あ……」 柔らかく中性的な響きだが、その音の質から彼が男性であることが分かった。だが、その表情は十代後半と思しき若い男のそれにしてはいささか頼りなさげだ。 「あれ? あんたは……」 「あ……昨日の戦士の方、ですね? リエル様からお話は伺っています」 首を傾げたクレハに、彼はぎこちなく微笑んだ。 「伺った……そう言えばあんた、昨日は舞台に居なかったな」 「え? そうなんですか?」 「居なかった居なかった。アル、お前覚えてないのか?」 「……クレハさんだってあの場に居た客全員覚えてる訳ないでしょう?」 「顔は覚えちゃいないが匂いで分かる。当然だろ?」 不思議そうに言った彼に、そういえばお前戦い屋だったなとアレグロがため息をつく。匂いというのは恐らく人の纏う空気のことだろうが、あるいは彼のこと、実際に匂いを敏感に嗅ぎ取っていると言われても納得できそうではある。 「いいじゃん、居たって居なくたって。で、キミは?」 「え、えぇ……と。僕、ですか」 エイルの言葉に若者が俯く。随分と自信なさげに指をいじくっていたが、やがて彼はおずおずと顔を上げて名乗った。 「僕……ディア・セイレンといいます。……えっと、その……」 一度は顔を上げたものの、彼がエイルたちと目を合わせることはなかった。ディアのその顔は僅かに目を逸らしながら段々と俯きがちになっていき、ついにはまた完全に下を向いてしまった。 その弱気な態度が気に入らないのか、エイルはむぅ、と小さく顔を顰める。 「ふぅん。ところでさ、キミ……もうちょっと顔上げてよ? 声、聞こえないって」 「え? あ、あぁ……はい、……すみません……」 「もー、いいよ別に謝らなくたって。シャキッとする! はい!」 ぽん、と肩を叩いたエイルの手の下で、ディアの身体がびくんと一度大きく震えた。思わずぱっと手を引き、エイルはディアの薄茶の瞳を覗き込んだ。弱々しい光を孕んだ両の目は、怯えたように揺れていた。 「ごめん、お待たせ!」 振り返ると、リエルがこちらに駆け寄ってくるところだった。荷物は殆ど持っていない。 彼は走っていたときと同様に軽やかに足を止め、一行ににっこりと微笑んでみせた。 「宿の人たちにお礼してたら、意外と時間食っちゃってね。……あぁ、ディア、ごめん」 長髪の若者の視線に気付き、リエルは僅かに彼より背の高いディアの肩を軽く叩いた。特に震えたりもせず、ディアはこくりと頷く。――浮かべた笑みは、やはりぎこちないものであったが。 小さく頷き、次に彼は目だけでアレグロをちらりと見た。 「どうかした? 騎士さん」 「いや、別に。強いて言うなら、あんたとディアの関係が気になっただけだ」 「関係……ね。ディア」 関係と聞き、リエルは瞬きした。そして厳しい表情でディアに向き直り、口を開く。 「また、様付けで呼んだね? 僕のこと」 「申し訳ありません……ですが、けじめは付けなければ」 「あれほどそんなの気にするなって言ったろ!? もう何年そう言ってるか分かってるよね!?」 「も、申し訳ありません! しかし、リエル様……」 「ほら、また言った。もういいよ、分かってたもんね。君がそういう人なのは」 「……申し訳……ありません」 三度目の謝罪を口にした彼にため息混じりに苦笑し、リエルはまた笑顔を戻して振り返った。 「ごめん、なんかこんなとこ見せちゃったりして。罰ゲームでディアに教えさせるからさ」 「リ、リエル様!? ぼ、僕……!」 「ディア」 笑いながら額に人差し指を突き立てられると、ディアはそれ以上何も言えなくなったようだ。深く長いため息をひとつついた後で、ディアは短くぼそりと言った。 「僕は……リエル様の、従者……ですので、だから……」 「ふーん、旅の踊り子に従者ねぇ……変わってるの」 「い、いえ、ですから、それは……その、あの……」 「もういいよ、ディア。エイル、朝の約束を忘れたとは言わせないよ?」 「……へーい」 困ったように赤くなっているディアを庇うように後ろに下げながら、リエルは首を傾げてみせた。その振る舞いに、エイルは渋々引き下がる。 胡散臭げにも聞こえる嘆息をひとつし、アレグロは肩に食い込んでくる荷物を背負い直した。 「従者が居たとは知らなかったが、まあ構わないさ。これからしばらく一緒になるんだ、改めて宜しく」 「あぁ、こっちこそ……あ、そうだ。ディア、どうせ名乗っただけでまともに自己紹介なんかしてないだろ? 駄目じゃないか、当分仲間なのに」 「う……申し訳……」 「君の”申し訳ありません”は聞き飽きたってば。まだ昼前だってのに、一体何回言ったと思う?」 エイルが知っているだけで五度目になる”申し訳ありません”を、どうやらディアは無理矢理呑み込んだらしい。うぅ、と押さえたような呻き声が彼の喉から聞こえた。 そんな従者に小さくため息をつき、リエルは顔を上げた。 「いいよ、僕から紹介する。名前はもう分かってると思うけど、ディア・セイレン。シャイで人付き合いは全然駄目だけど、赤魔道士としては優秀だよ。それに、従者としてもね」 「……そんな。僕、は…………」 消え入りそうな声で呟き、ディアは顔を伏せた。そのどこまでも自信なさげな態度に、思わず疑いの色を見せる者が出ても誰も不思議には思わないだろう。赤魔道士といえば、多彩な武器と魔法を使いこなす魔法戦士。多くの兵士にとっては憧れの的ですらある称号なのだから。 最もはっきりと疑うような表情を見せたエイルの方を向きながら、リエルは拳ほどの大きさの石をひとつ拾い上げた。 「ま、無理ないよね。こんな性格してるんだからさ……ディア、ちょっといいかな?」 そう言い、ディアが頷くのを確認すると、リエルはぽんとその石を放り上げると同時に小さく飛び退った。 刹那、疾風が閃く。ディアの細身の身体が駆け抜けたのだ。 一瞬時間が止まったような気さえする。地面に落ちて転がった石は、すっぱりとふたつに斬られていた。更に、ぱりぱりと音を立てる雷の欠片を纏って光を放ってさえいる。 ひらりと舞い上がっていた厚手のマントとスカートの裾が重力に従って落ちてくる。――スカートと思っていたが、どうやら違うらしい。それはズボンと同じように真ん中でふたつに分かれていた。 ディアは彼の肘から先と同じほどの長さの剣を鞘に収め、振り返った。 「……ど、どうでしょう…………」 このか弱そうな青年が、今の技をやってのけた。それはこの場に居る誰もが見ていたことだ。そして、この場に居る全員――リエル以外の全員はその事実に驚いていた。 魔法剣。武器に魔法を纏わせるその連携自体は、息の合った戦士と魔道士の間では珍しいものではない。だが、ひとりでそれを完成させるとなると話は違う。構えを取り、動きつつ一瞬で詠唱を完成させることが要求される……かなり高度な個人連携なのだ。 「……すごい……」 アルティアの呟きに、リエルは満足そうに微笑んでみせた。 「だろ? だって、自分より弱い従者を連れ歩く訳ないじゃないか」 「そ、そんな……僕なんて、リエル様の足元にも及びません……」 「ディア、自信持てって言ったよね?」 「……しかし、僕は……」 「ホラ、しゃんとするよ! ……ディア・セイレン!」 頭を垂れたディアの背中をさっきよりも強く叩き、リエルは首を傾げながら朗らかに言った。 「さ、出発しないとね!」 |